イングランド侵攻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/30 13:49 UTC 版)
「ネヴィルズ・クロスの戦い」の記事における「イングランド侵攻」の解説
10月7日、スコットランド軍は約12,000の兵でイングランド北部に進軍した。エドワード3世はフランスで大規模な軍事行動中であり、北部の諸都市の守りは比較的手薄に違いない、というのがスコットランド側の見立てだった。目的地のヨークシャーまでの道中を略奪したり焼き打ちしたりしながら1週間進軍し、10月16日にダラムに到着した。しかし、スコットランド側の期待とは裏腹にイングランド側はこうした事態を予測しており、軍を配置していた。スコットランド軍侵攻の報を受け、ヨーク大司教の監督の下でリッチモンド(英語版)に兵が動員された。この軍はカンバーランド、ノーサンバーランド、ランカシャーから集められた3,000~4,000の兵と、3,000のヨークシャー兵から成っていた。カレー包囲戦(1346年9月~)に兵力が割かれていたためイングランド北方の守りはこれがすべてだった。10月14日、ヨーク大司教はいまだ移動中のヨークシャー兵を待たずに、ダラム南西にあるバーナード城(英語版)に急行した。
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