イングランド内戦から現代まで
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「ピーターバラ大聖堂」の記事における「イングランド内戦から現代まで」の解説
1643年、大聖堂はイングランド内戦で議会軍によって荒廃させられた。当時のならいとして、ステンドグラスと中世の聖歌隊席がほとんど破壊され、祭壇衝立と背障が回廊と聖母礼拝堂と同様に粉砕された。全ての記念碑と記念物が損傷を受けたか破壊され尽くした。 壊れたものの一部は17世紀から18世紀に修理された。1883年、内部柱、聖歌隊席と西側の完全な再建を含む高額の修繕事業が建築家ジョン・ピアソンの監督のもと開始され、新たな手彫りの聖歌隊席背障、司教席、説教壇、大理石製の歩道、祭壇衝立が付け足された。胸壁の段々が刻まれた部分は中央の塔から取り除かれた。 2001年11月22日早朝、大聖堂内の北側聖歌隊通路でプラスチック製イスを焼く火事が起きた。 幸運なことに、火は消防によって消し止められ、被害は一部で済んだ。 その時不運だったのは、木造天井の絵画が完成間近であったことである。 石油を含んだ煙でプラスチックのイスは使えなくなった。火の場所はオルガンに近く、火からの直接のダメージと消火に使った水が原因で、再建計画の完成がさらに数年遅れた。 2006年7月、西正面の修繕計画が延長されて始まった。工事費は500万ポンドを超過した。この事業はくぼみにある像周辺に集中している。年月と天候による劣化が原因であるが、一部は頭から体まで差し込まれた鉄製の棒のおかげで無傷のままだった。 完成は2007年終わり頃の予定である。
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