み‐たて【見立て】
読み方:みたて
2 病気を診断すること。また、その結果。「医者の—」「—違い」
3 《2から転じて》こうだろうと予測すること。「日経平均8000円割れはないというのが専門家の—だ」
4
㋐あるものを、それと似た別のもので示すこと。「庭園に富士の—の山を築く」
み‐だて【見立て】
見立て
見立て
見立て
★1.目の前にある物を、それと形状の類似した別の物と見なす。
『仮名手本忠臣蔵』7段目「一力茶屋」 大星由良之助と斧九太夫の酒宴の場で、何か面白いことをしようというので、仲居が九太夫の頭を箸ではさみ、彼の顔を梅干しに見立てて遊ぶ。
『義経記』巻1「牛若貴船詣での事」 牛若は毎夜貴船明神に参詣し、四方の草木を平家一門に見立て、2本の大木を「清盛」「重盛」と名づけて太刀で斬った。また毬打の玉のようなものを2つ、木の枝にかけ、清盛・重盛の首に見立てて晒した。
『ドン・キホーテ』(セルバンテス) ドン・キホ-テは、近隣の百姓娘アルドンサ・ロレンソを自分の「思い姫」に見立て、勝手にドゥルシネア姫と名づける。
『長屋の花見』(落語) 貧乏長屋の連中が、大根をかまぼこ、たくあんを玉子焼き、番茶を酒に見立てて、花見をする。1人が「大家さん、近々長屋に良いことがありますぜ」と言う。「どうしてだ?」「湯飲みの中に酒柱が立ってます」。
『瘋癲老人日記』(谷崎潤一郎) 77歳の卯木督助は、息子の嫁颯子(さつこ)の足裏の拓本を取り、その形を石に刻もうと計画する。彼はこれを、仏の足跡を刻んだ仏足石に見立て、自分の墓石とし、その下に骨を埋めてもらいたいと願う〔*→〔足〕6aの『富美子(ふみこ)の足』が原型〕。
『紅(べに)皿・欠(かけ)皿』(昔話) 紅皿・欠皿の姉妹がいた。母は継子の紅皿を憎み、実子の欠皿をかわいがって、「欠皿を殿様の嫁にしたい」と願う。盆の上に皿を乗せ、塩を盛って松葉を1本さしたものを見て、欠皿は「盆の上に皿を乗せ、皿の上に塩を乗せ、塩の上に松をさして、おおつっかい棒あぶない」と言う。紅皿は、盛り塩を雪の山に見立て、「盆皿や皿ちゅう山に雪降りて雪を根として育つ松かな」と歌を詠む。殿様は、紅皿を嫁にした(静岡県浜松市)。
『檸檬』(梶井基次郎) 「私」は八百屋で檸檬を1個買い、幸福な気分になったが、丸善へ入るとたちまち憂鬱になった。「私」は美術書の棚から画集を何冊も引き出して積み重ね、上に檸檬を置いた。その檸檬を爆弾に見立て、「10分後にはこれが爆発するのだ」と想像して、「私」は丸善を出た。
*高額紙幣を破るわけにはいかないので、煎餅を紙幣に見立てて破る→〔金〕9bの『百万円煎餅』(三島由紀夫)。
*禿げ頭を、蛍の光に見立てる→〔蛍〕5の『サザエさん』(長谷川町子)。
*睾丸を卵に見立てる→〔卵〕6の『セレンディッポの三人の王子』1章。
★2.育ちが良いために、日用の卑俗な物品を、風雅な飾り物に見立ててしまう。
『雛鍔(ひなつば)』(落語) 大名屋敷の8歳の若様が1文銭を拾って、「雛人形の刀の鍔か?」と家来に問う。植木屋がこれを見て感心し、帰宅して自分の8歳の息子に語り聞かせる。そこへ町内の隠居が訪れたので、息子は往来で拾った1文銭を示し、「お雛様の刀の鍔かなあ?」と若様の真似をする。隠居は「銭を知らぬとは、育ちの良い子だ」とほめる。息子は「これで焼き芋を買う」と言う。
『万の文反故』(井原西鶴)巻2-3「京にも思ふやうなる事なし」 仙台から京に上った九兵次は、公家の屋敷に奉公していた女を妻とした。彼女は世事にうとく、摺鉢のうつぶせにしてあるのを、富士山の姿を写した焼き物かと思って、眺めていた。
★3.無間(むげん)の鐘(*→〔鐘〕5)に見立てた、泥の鐘や石の鉢。
『鏡と鐘』(小泉八雲『怪談』) ある百姓が、庭の泥で無間の鐘を模したものを作り、それを叩き壊して、富を得ることを祈る。すると庭前の土中から白衣の女が現れ、蓋をした甕を与える。百姓は大喜びで、妻とともに甕の蓋をこじ開ける。甕は、ふちまでいっぱいに・・・・いや、いけない。何がいっぱいつまっていたかは、「私(小泉八雲)」も口に出しかねる。
『ひらかな盛衰記』4段目「神崎揚屋」 梶原源太景季の恋人千鳥は、親から勘当された景季に苦労させぬよう、自ら神崎遊郭に身を沈め、「梅ヶ枝」と名乗る。梅ヶ枝は景季のために3百両の金を得ようと、地獄へ落ちる覚悟で、石の手水鉢を無間の鐘(*→〔交換〕2の無間の鐘の伝説)に見立てて、杓で打つ。すると2階から、3百両の小判が降ってくる。それは景季の母延寿が、若い2人を助けるためにしたことだった。
★4a.人間の一生(嬰児期・成年期・老年期)を、一日(朝・昼・晩)に見立てる。
『ギリシア神話』(アポロドロス)第3巻第5章 スフィンクスが、「1つの声を有しながら、朝は4本足、昼は2本足、夜は3本足になるものは何か?」という謎を出した。オイディプスは「それは人間である」と解いた。人間は、赤ん坊の時は四つん這い、成人して2足歩行、老年になると杖を第3の足として加えるのである。
*「はじめは足がなく、やがて2本足、最後は4本足」という謎もある→〔夫〕1cの『脳味噌ちょっぴり』(イギリスの昔話)。
★4b.仏陀は自分の現世での一生を、月の満ち欠けに見立てた。
『大般涅槃経』(40巻本)「如来性品」 仏陀は言われた。「私の誕生した時は、月の満ち始めに喩えられる。生まれてすぐ7歩あるいたのは二日月。成長して学校へ行ったのは三日月。出家したのは8日目の半月。知恵を得て生類や悪魔を教化したのは15日目の満月。涅槃に入るのは月が欠けていく姿だ。しかし月そのものは満ちも欠けもせず、いつも満月である。私もまた常住不変だ」。
★5.人間の一生を四季に見立てると、小春(=晩秋から初冬)は何歳ぐらいにあたるか?
『小春』(国木田独歩) 11月某日。老熟を自認する「自分」は、画家を目指す小山青年と、林を散歩した。小山青年は、「人の一生を四季にたとえると、春を私のような時として、小春は幾歳ぐらいでしょう」と聞いた。「自分」は「僕のようなのが小春さ。今に冬が来るだろう」と答え、哀情を感じた。小山は「冬が過ぎれば、また春になりますからね」と笑った〔*この時、独歩は29歳。小山のモデル岡落葉は21歳〕。
*逆さまの死体を、人の名前に見立てる→〔逆さまの世界〕4の『犬神家の一族』(横溝正史)。
*西洋女性の肌の白さを、月光を浴びた白狐に見立てた作品→〔温泉〕5の『白狐の湯』(谷崎潤一郎)。
*イザナキ・イザナミが国産みをする時の「天の御柱」は、実際の柱とも、木を柱に見立てたとも、両様に解釈できる→〔周回〕1の『古事記』上巻。
見立て
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/07 20:00 UTC 版)
見立て(みたて)とは、
丸谷才一は山崎正和との対談『半日の客 一夜の友』(文春文庫)は「日本人の見立て好き」を論じている。文化人類学者・川田順造は見立ては「対象を別の物になぞらえ、実在しないものをあるように思い描く」といい、日本文化の奥行きを深めたという[2]。
見てから選ぶこと
- 選定
- 伝統的に、自分の目で見てから選ぶことを「見立て」と言った。
- 例えば、江戸時代、呉服などを自分の目で見て選ぶことも「見立て」と言った[1]。
- また、遊郭などで客が相手となる遊女を選ぶことも「見立て」と言った[1]。
- 診断
- 伝統的に、医者が病人を見て(診て)、あらかじめ定められたどの分類に当てはまっているのか選ぶことも「見立て」と言う。つまり現代では「診断」と呼ばれていることにおおむね相当する[3]。
芸術の技法
芸術の分野で言う「見立て」とは、対象を他のものになぞらえて表現することである。別の言い方をすると、何かを表現したい時に、それをそのまま描くのではなく、他の何かを示すことによって表現することである。日本の様々な芸術で、この「見立て」の技法が用いられている。例えば和歌、俳諧、戯作文学、歌舞伎などで用いられている[1]。喩えているとは示さずに喩えていることが多く、その場合、欧米の学術用語で言うメタファーに相当する。
- 庭園
- 日本庭園ではしばしば(あるいはほとんどの場合)なんらかの「見立て」の技法が用いられている。たとえば枯山水では、白砂や小石(の文様)が「水の流れ」に見立てられる。その「水の流れ」が無常を表しているともされる。日本庭園では庭を宇宙に見立てている、とも言う。箱庭、盆景、盆栽、水石などが代表例。
- 絵画
- 浮世絵等で描かれた手法。題材を古典文学や故事、伝説、史実などにとりながら、時代を超越して、当世風の人物や背景で表現した絵画の総称。
- 「見立絵」も参照
- 文学
- 前述のように日本で和歌、俳諧、戯作文学、歌舞伎などで見立てが用いられており、日本文学の価値を高めている。
- 文人の遊びとしても、ひとつの流れを作っており、一種の言葉遊びとなっている場合もある。「比喩遊び」とも言う。
- 落語
- 落語では、扇子や手拭いだけを用いて様々な情景を表すが、これも一種の見立てである。たとえば扇子を閉じた状態で、ある時はこれを煙管に見立て、煙管として使ってみせ、又あるときはこれを箸に見立て、蕎麦をすすってみせる[4]、という具合である。また、見立て落ちと言う落ちの分類や「お見立て」と言う演目もある。
- 日本のミステリー
- ミステリー分野では見立て殺人と呼ばれる類別が存在する。例えば横溝正史の金田一耕助シリーズには見立てによる殺人現場がしばしば顔を出す。代表作の1つ『獄門島』では三人の被害者がそれぞれ三つの俳句の見立ての形で殺される。殺した少女の足を帯で縛り、庭の桜から逆さ吊りにしたのは「鶯の 身を逆さまに 初音かな」(宝井其角)の見立てであった。
脚注
- ^ a b c d e f g 広辞苑 第五版 p.2559
- ^ 「『見立て』は異なる次元の感覚の巧みな組み合わせにつながって日本文化の奥行きを深めました」「豊かな想像力が思い思いの創意工夫につながりました。その表れの一つが職人の手仕事だと私は思っています」と生まれ育った深川とフランスの職人の調査を比較して述べている(「人類の 未来のために」朝日新聞2015年1月4日)。
- ^ 「見立て」は大和言葉であり、「診断」はそれに相当する漢語である。ただし現代では「診断」のほうがそれなりの定義・用法で比較的かっちりした定義・用法のもとで用いられているので、氏原寛、成田善弘などは、「見立て」という用語のほうを、より直観的な見方や見通しなども含めた、より自由な用語として用いて、現代流の医学用語「診断」で指す行為に加えて、そうした「見立て」も用いることの有用性・重要性などを説いている(出典:氏原寛、成田善弘『診断と見立て: 心理アセスメント』培風館, 2000)
- ^ Ito, Nobuhiro (伊藤信博) (November 19, 2008). “「果蔬涅槃図」と描かれた野菜・果物について” (pdf). 言語文化論集 30 (1) 2012年5月閲覧。.
参考文献
- 丸谷才一『思考のレッスン』(文春文庫、2002年)ISBN 978-4167138165
関連項目
見立て
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/13 00:31 UTC 版)
対象を、他のものになぞらえて表現する、日本の芸能に多く見られる技法のこと。半紙で蝶の一生を表現する「胡蝶の舞」など。
※この「見立て」の解説は、「和妻」の解説の一部です。
「見立て」を含む「和妻」の記事については、「和妻」の概要を参照ください。
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