げんご‐もんだい【言語問題】
読み方:げんごもんだい
⇒国語問題1
言語問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/10 06:08 UTC 版)
クレオールの誕生には二つの前提が存在し、クレオール語の歴史は深く植民地化に繋がっている。ある指摘によればクレオールは異なるコミュニティ間のコミュニケーションを図るための必要性から生まれた。この理論によれば、ハイチ・クレオール語は17世紀に奴隷となったアフリカ人、バッカニア、私掠船員、ヨーロッパ人入植者が共に暮らしていたトルトゥーガ島で発展したことになる。もう一つの理論の指摘によれば、クレオールはポルトガルのアフリカ大西洋岸植民地にて15世紀に誕生し、奴隷貿易によって「輸出」されたとのことである。 何れにしても200以上のクレオール語やクレオール語に関連した言語が存在する。英語、ポルトガル語、スペイン語、オランダ語、フランス語の何れに基づいているかにかかわらず、ハイチではクレオール語は共通の記憶の言語であり、抵抗の象徴である。クレオール語は物語、歌、詩(サン=ジョン・ペルス、エメ・セゼール、デレク・ウォルコット)、小説(パトリック・シャモワゾー、ラファエル・コンフィアン)などに散見される。 ハイチの独立にもかかわらず、フランス語は国家の公用語として留まり続けた。フランス語は偉大な文化的威信を持つ言語であり、エリートによって話されたが、クレオール語は20世紀後半まで文学的なフィールドには用いられなかった。1930年代のアンディアニストとネグリチュード運動(ハイチではジャン・プライス=マルス(フランス語版)によって実現された)はアンティル諸島人のアフリカ的起源を強調し、人身売買と後の植民地化によって失われたアイデンティティとして与えた。しかし、彼等にとって、クレオール語とは未だに奴隷の不純な言葉だと考えられたのであった。 彼等を継いだクレオリテ運動はクレオール語を再建し、クレオールはもはや奴隷の言葉であるのみならず、「我らが共に生きるためになしえたもの」となった。フランス語からクレオール語へ、du français vers le créole,あるいは二つの言語間の対話となるこの転換はハイチ文学によってもたらされた。 クレオール語は詩とドラマにおいて頻繁に用いられる。例を挙げるならば、フランケチエンヌは戯曲をクレオール語のみで書いた。口語では、クレオール語は特にこれらのジャンルに現れる(たとえ多くのハイチ人がクレオール語を話し、理解するとしても、全てがそれを読めるわけではない)。小説においては、二つの言語はしばしば同時に用いられ、新たな独自の書き方を創造している。 どの言語で書くかということは現在の創作文芸において重要な問題となっており、特にハイチに住む作家にとっては顕著である。荒井芳廣は「ハイチにおける声の文化と民俗学的修辞学の可能性」『ラテンアメリカ・カリブ研究』第6号、1999年でハイチにおける民衆の文学的機能はクレオールでの口頭文化によって担われてきたとして「声の文化」と呼び研究の可能性を示唆している。
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