言語哲学におけるメタファー理解の変革
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/01 16:36 UTC 版)
「メタファー」の記事における「言語哲学におけるメタファー理解の変革」の解説
言語哲学では、「隠喩は言語において特殊な現象にすぎない」と見なす見解がかつて主流であり、その後に「隠喩はつねに言語の根源にある」とする見解が登場することになった。前者の見解は、ある意味で素朴で、そう見なす人のほうが多かった。例えば、古代ギリシャのプラトンや現代のオースティンなどは前者の見解を示した。 一方で、近代にはヴィーコ、現代ではブラックが、異なった見解を示し、言語学者のロマン・ヤコブソンは、絵画、文学、映画あるいは夢などの表現の中には、根本的な認知方式としてメタファーの作用があることを指摘した。 さらにその後、1980年にジョージ・レイコフとジョンソンらが『レトリックと人生』を出版し、「メタファーは抽象概念の理解を支える根本的な概念操作である」「言語活動のみならず、思考や行動にいたるまで、日常の営みのあらゆるところにメタファーは浸透している」と指摘し、多数の資料を提示しつつ分析してみせ、広範囲の支持を得て、学者らのメタファー観は大きく変わった。 メタファーは単なる言語の要素ではなく、人間の認知と存在の根幹に関わる要素だという認識がされるようになり、メタファーを基礎に据え、概念理解のしくみ・構造を解明しようとする研究が進められている。 政治においても、メタファーがもたらす影響について研究が盛んになってきている。 また、精神分析学者ラカンのメタファー・メトニミーへの言及が重要視されることがある。ポール・リクールも隠喩論を展開した。
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