フェルガナ盆地での展開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 15:13 UTC 版)
「バスマチ蜂起」の記事における「フェルガナ盆地での展開」の解説
ロシア内戦の激化を受けて、1917年にフェルガナ盆地のコーカンドにて、在地ムスリム有力者らによるトルキスタン自治政府が設立された。自治政府は、イスラーム指導者やムスリム商人、ムスタファ・チョカイ(英語版)(Мустафа́ Шока́й)らジャディード知識人で構成され、トルキスタンの自治を宣言した。 これに対し、タシケント市のロシア人労働者を中心とした赤軍は、1918年にコーカンドを攻撃し自治政府を解体した。これにより、旧自治政府の残党によるソビエト政権に対する武装闘争が始まった。 反乱勢力は、クルバシュ(ロシア語版、リトアニア語版)と呼ばれた司令官に率いられた。フェルガナで最初のクルバシュとなったのは、コーカンドの元警察署長であった小エルガシュ(Маленький Эргаш、Кичик Эргаш)であり、その死後はコーカンドのウラマーであった大エルガシュ(Большой Эргаш、Катта Эргаш)が反乱勢力を率いた。 一方で、エルガシュの勢力とは別に、マダミン=ベク(ロシア語版)(Мадамин-бек)の勢力は独自にアンディジャンの鉄道網を攻撃し、ロシア人居留民の自警団と結んで、フェルガナ臨時政府を樹立した。1919年には、ムスリムの反乱はフェルガナ盆地全土を制圧することとなり、マダミン=ベクは赤軍と協定を結んで、赤軍の傘下に加わった。しかし、同年3月にクルバシュのハル・ホジャ(Хал-ходжа)によりマダミン=ベクは殺害された。 マダミン=ベクの没後、フェルガナの反乱勢力はシェル・ムハンマド・ベク(Шер Мухаммад-бек)により率いられたが、赤軍はフルンゼが率いる軍隊を投入し、徐々に反乱勢力を制圧していった。 ソビエト政権は、バスマチに対する軍事的制圧を進める一方で、ムスリム・エリートの政権への取り込みや、反乱参加者への恩赦など、ムスリム住民に対する懐柔策を実施し、反乱勢力の拡大を防ぐよう努めた。
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