モンゴルとタングート人の国へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/20 10:27 UTC 版)
「ニコライ・プルジェヴァリスキー」の記事における「モンゴルとタングート人の国へ」の解説
1870年から1873年にかけて、キャフタからゴビ砂漠を横断して北京に向かい、揚子江(長江)上流を探検し、1872年にはチベットを横切った。彼が調査した面積は18,000km²に及び、収集し持ち帰った生物は植物5000種、鳥類1000種、昆虫3000種、それに加えて70匹の爬虫類と130匹の異なった哺乳類の毛皮があった。帝立地理学協会からコンスタンチン・メダルが授与され、中将へと任命されて、皇帝の幕僚に取り立てられ、聖ウラジーミル騎士団の第4階級に列せられた。この探検の時、中国では同治陝甘回変(ドゥンガン蜂起;1862~1877年)が勃発していた。この旅によって中国の西でのヤクブ・ベグの王国によるムスリムの反乱に関する重要な情報がもたらされ、ロシア帝立地理学協会での彼の講義は溢れかえる聴衆から「雷のような喝采」を受けたという。ロシアの新聞«Голос»はこの旅を「我々の時代で最も大胆なことの一つ」と呼んだ。
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