モンゴルとオイラト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 07:10 UTC 版)
「モンゴル系民族」の記事における「モンゴルとオイラト」の解説
元朝が1368年に漢民族の明朝に打倒されると、モンゴル民族は中国を捨ててモンゴル高原に後退した。通常この政権を北元と呼ぶ。しかし、モンゴルに支配されていた漢民族の政権である明朝では「蒙古」とは呼ばず「韃靼」と呼んだ。北元政権ではハーンの王統が不安定であり、クビライの王統であったり、アリクブケの王統であったりで、常にオイラト部族による擁立が頻発した。一時はエセン・ハーンというオイラト部族の出身者がハーンに即位したが、モンゴル部族出身のダヤン・ハーンの中興によってオイラトは打倒され、新たなモンゴル帝国が再構築された。
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