広東軍政府
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/05 13:46 UTC 版)
広東軍政府(かんとんぐんせいふ、第1次広東政府)とは、中華民国広東省にあった地方政権。正式名称は中華民国軍政府(ちゅうかみんこくぐんせいふ)。1917年9月に成立し、1920年10月に瓦解した。段祺瑞の政治姿勢に反発した国民党系議員や南方の地方軍の寄合所帯的性格の強い政権で、広州市に本拠を置いた[1]。護法軍政府(ごほうぐんせいふ)、広州軍政府(こうしゅうぐんせいふ)とも呼ばれる。北方の北京政府(北洋政府)に対抗したが、その権力基盤は容易に安定せず、内部抗争を繰り返した[1]。
注釈
- ^ 陸栄廷はチワン族(壮族)で桂軍(広西軍、広西派)の創始者である。また、唐継尭は民国初期の10数年にわたり、雲南省を統治した滇軍(雲南軍、雲南派)の創始者である。
- ^ 1912年結成の国民党が袁世凱によって解散状態に追い込まれたのち、孫文らは亡命先の東京で1914年に中華革命党を組織した[4]。
- ^ ただし、当時の汪兆銘は孫文と行動を共にしながらも「官職に就かない」という自身のモットーを守り、広東軍政府から秘書長への就任要請があってもこれを固辞している[5]。
- ^ 陳炯明は粤軍(広東軍、広東派)の創始者の一人。広東軍政府(第1次広東政府)では孫文を支えたが、中華民国正式政府(第2次広東政府)では孫文に叛旗をひるがえし、1922年、同政府を瓦解に追い込んだ。
- ^ 岑春煊は、西太后の信任を得て昇官した官僚政治家。チワン族。
出典
- ^ a b 久保(1998)p.375
- ^ a b c d e f g h i j k 小島・丸山(1986)pp.78-81
- ^ a b c 狭間(1999)pp.47-53
- ^ 久保(1998)p.382
- ^ a b 柴田哲雄「汪兆銘伝のための覚書き」
- 1 広東軍政府とは
- 2 広東軍政府の概要
- 3 成立
- 4 脚注
- 広東軍政府のページへのリンク