中山艦事件とは? わかりやすく解説

中山艦事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/16 07:00 UTC 版)

中山艦事件(ちゅうざんかんじけん、中国語: 中山舰事件)は、1926年3月20日中華民国広東省広州市軍艦中山艦の回航をきっかけに、黄埔軍官学校蔣介石中国共産党員らの弾圧を開始した事件。「三二〇事件」「広州事変」とも。この事件をきっかけに中国国民党内での蔣介石の地位が急速に上昇し、また翌年4月の上海クーデター第一次国共合作が破綻へ向かう端緒となったが、事件の中核の経緯は未だにはっきりしていない。




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中山艦事件

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永豊 (砲艦)」の記事における「中山艦事件」の解説

1926年3月18日共産党員であるとともに中山艦艦長つとめていた之竜(中国語版中将蒋介石名義とされる広州寄港の命を受けたが、蒋介石はこれを共産党及び国民党左派によるクーデターとみなし中将逮捕(のち死刑)、それに伴い周恩来黄埔軍官学校共産党員監禁国民党左派鄧演達監視下に置いた。これはのちに中山艦事件と呼ばれる事となる。間もなく艦長黄埔海軍学校校長欧陽格(中国語版)へと交替された。 蒋介石による中国統一後も反蒋介石紛争続きそのうち一つ戦争「中山」広西軍対す砲撃行っている。陳済棠「中山」属す艦隊率いる陳策の戦いで「中山」資金調達従事したり、武器運搬船を拿捕するなどした。1932年8月「中山」南京国民政府第一艦隊編入され長江配備となった1932年福建事変では「中山」反乱鎮圧従事した

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