漢口事件
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漢口事件(かんこうじけん/はんこうじけん)とは、1927年(昭和2年)4月3日、国民革命軍の武漢攻略の際、一部の無秩序な軍隊と暴民が漢口の日本租界に侵入し、掠奪、破壊を行い、日本領事館員や居留民に暴行危害を加えた事件。漢口四三事件とも言う。日本海軍の軍人も傷害や暴行を加えられた。被害は150戸、被害見積額は92万円[1]。共産党の扇動により発生した[2]。日本海軍の水兵と中国の少年との口論を端緒に次第に拡大していったとされる。
- ^ 重光葵 原著 & 服部龍二 編著 2002.
- ^ 「漢口事件解決に関する文書」『日本外交年表並主要文書 下』
- ^ 中支被難者連合会 1927, pp. 112–114.
- ^ 大阪毎日新聞 1923.9.22(大正12)「乱入した支那兵の一隊は忽ち宜陽丸船長を射殺した」
- ^ 中支被難者連合会 1927, p. 119.
- ^ 中支被難者連合会 1927, p. 117.
- ^ a b 中支被難者連合会 1927, p. 118.
- ^ a b c 中支被難者連合会 1927, p. 105.
- ^ a b c 中支被難者連合会 1927, p. 106.
- ^ 中支被難者連合会 1927, pp. 109–110.
- ^ a b 中支被難者連合会 1927, p. 120.
- ^ 中支被難者連合会 1927, p. 121.
- ^ “『支那の声明は信頼できぬ 某消息通談』”. 大阪朝日新聞. 神戸大学 (1927年4月5日). 2012年2月11日閲覧。
- ^ a b c d 戦史叢書第72巻 中国方面海軍作戦<1>昭和十三年四月まで、156ページ
- ^ 中支被難者連合会 1927, pp. 81–82.
- ^ a b c 中支被難者連合会 1927, p. 82.
- ^ 中支被難者連合会 1927, pp. 82–83.
- ^ a b 中支被難者連合会 1927, p. 91.
- ^ 戦史叢書第72巻 中国方面海軍作戦<1>昭和十三年四月まで、157ページ
- ^ a b c 中支被難者連合会 1927, p. 93.
- ^ a b 中支被難者連合会 1927, p. 95.
- ^ a b “『漢口の租界周囲に群集刻々に増す 同仁病院も引揚ぐ』”. 大阪朝日新聞. 神戸大学 (1927年4月5日). 2012年2月11日閲覧。
- ^ 戦史叢書第72巻 中国方面海軍作戦<1>昭和十三年四月まで、158-159ページによれば拉致された水兵は6名
- ^ a b c d e 中支被難者連合会 1927, p. 103.
- ^ a b c 中支被難者連合会 1927, p. 104.
- ^ a b 田中秀雄編『もうひとつの南京事件』
- ^ “『巡洋艦と駆逐艦三隻糧食を満載して漢口へ 日本陸戦隊撤退を拒絶』”. 大阪朝日新聞. 神戸大学 (1927年4月5日). 2012年2月11日閲覧。
- ^ “『宜昌も引揚げ 英国領事をはじめ 英米人全部が両三日中に』”. 大阪朝日新聞. 神戸大学 (1927年4月5日). 2012年2月11日閲覧。
- ^ “『北京の米人ぞくぞく引揚ぐ 天津方面へ向って』”. 大阪朝日新聞. 神戸大学 (1927年4月5日). 2012年2月11日閲覧。
- ^ 中支被難者連合会 1927, p. 139.
- ^ 中支被難者連合会 1927, p. 149.
- ^ 浅野典夫『図解入門よくわかる高校世界史の基本と流れ』秀和システム、2005年、288頁 。
- ^ 中支被難者連合会 1927, pp. 153–154.
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