広東神社
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広東神社(カントンじんじゃ)はかつて中国の広州市に存在した神社で、鳥居と軍神屋から構成されていた[1]。祭神は天照大神、明治天皇と靖国神社の分霊だった。
歴史

創設時期は諸説あるが、1942年に刊行された日本人の著書の記述では1934年11月とある(祭日を11月3日としていた)[2]。一方、外務省東亜局の年度執務報告は1934年9月と記載し[3]、日中戦争後に創設した証言もある[4][5][6]。神社の場所は最初に沙面島英国租界の日本人学校校庭に位置したが、1939年10月に永漢公園に移転した[2][7][8]。
太平洋戦争後、広東神社は解体された。2003年6月、広州市南越王宮署遺跡発掘調査の際に、広東神社の遺構が発見され、現在は南越王宮博物館に保存されている[9]。
出典
- ^ 許黎娜; 劉榮 (2005年8月10日). “南越王宮署遺址60多年前有座日軍「神社」” (中国語). 広東地市新聞 (南方都市報). オリジナルの2018年4月6日時点におけるアーカイブ。 2018年4月6日閲覧。
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- ^ 桑島主計「§1.2.3」『執務報告 昭和十一年度東亜局第二課及第三課 第一、東亜局第二課関係/第二章 居留民ノ保護取締ニ関スル諸問題/第三節 満洲及支那ニ於ケル邦人設立神社、寺院、教会廟宇ノ他布教所ノ現勢並ニ其ノ取締状況』アジア歴史資料センター、国立公文書館、1936年12月1日、74或0044頁。オリジナルの2018年10月21日時点におけるアーカイブ 。2018年10月20日閲覧。
- ^ “广州的日军神社在哪?” (中国語). 金羊網 (2005年7月10日). 2018年4月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月6日閲覧。
- ^ “復活歷史:廣州「日軍神社」興滅記” (中国語). 金羊网 (2005年7月24日). 2018年4月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月6日閲覧。
- ^ “地圖上的日軍「廣東神社」” (中国語). 金羊网 (2005年7月24日). 2018年4月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月6日閲覧。
- ^ “80多年前 广州有了第一座“动物公园”” (中国語). 人民网. 广州日报 (2017年9月6日). 2018年10月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年10月14日閲覧。
- ^ 钟剑峰 (2017). “实用与象征──广东神社建筑及其战后利用问题研究” (中国語). 中外建築 (08): 43-47. doi:10.16496/j.cnki.rbyj.2016.04.009. ISSN 1008-0422. オリジナルの2018-10-21時点におけるアーカイブ。 2018年10月20日閲覧。.
- ^ 钟剑峰 (2016). “广东神社考略” (中国語). 日本研究 (04): 64-73. doi:10.16496/j.cnki.rbyj.2016.04.009. ISSN 1003-4048. オリジナルの2019-08-18時点におけるアーカイブ。 2018年10月20日閲覧。.
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