北伐と1927年南京事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 02:13 UTC 版)
孫文死後の1925年(民国14年)6月、程潜は反乱を起こした劉震寰・楊希閔を鎮圧する。7月、大本営が改組されて国民政府が成立すると、程は16人の国民政府委員の1人に選任された。9月には陳炯明の討伐に赴き、11月、これを完全に掃討している。 翌1926年(民国15年)1月、中国国民党第2回全国代表大会で中央執行委員に当選し、まもなく国民革命軍第6軍軍長に任ぜられた。北伐が開始された9月初めに、程潜は中路総指揮に任ぜられる。程は江西省で孫伝芳軍を撃破し、同月19日に南昌を占領した。孫軍の大反撃に遭い、いったんは後退を余儀なくされたが、11月、同僚の軍と協力して反撃に転じ、再び南昌を攻略して江西を平定している。 1927年(民国16年)1月、程は江右軍総指揮に任命され、南京へ進撃を開始し、3月24日までに南京を攻略して入城した。ところが、この時に程の軍は外国の領事館、教会、商店、住宅等を破壊・略奪してしまい、長江駐留中のイギリス・アメリカの軍艦も砲撃で反撃するという事態を引き起こしてしまう(1927年南京事件)。この事件は蒋介石の激怒を買い、程は事実上第6軍軍長から一時解任、失脚に追い込まれた。
※この「北伐と1927年南京事件」の解説は、「程潜」の解説の一部です。
「北伐と1927年南京事件」を含む「程潜」の記事については、「程潜」の概要を参照ください。
- 北伐と1927年南京事件のページへのリンク