北伐での活躍と蒋桂戦争での失態
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/05 01:25 UTC 版)
「夏威」の記事における「北伐での活躍と蒋桂戦争での失態」の解説
同年の北伐にも夏威は参戦し、湖南省・湖北省方面で呉佩孚率いる北京政府軍を撃破する軍功をあげている。翌1927年(民国16年)3月には安慶(安徽省)にまで進軍し、6月には徐州攻略に貢献、第7軍副軍長に昇進した。まもなく直魯聯軍が反撃に転じ、徐州を奪回されたため、夏らの属する第7軍は長江守備を命じられる。8月末に、第7軍は直魯聯軍と孫伝芳率いる軍に挟撃され激戦となったが、夏らはこれに懸命に反撃し、ついに孫軍を殲滅する軍功をあげた。これにより夏は第7軍軍長に昇進し、あわせて南京国民政府軍事委員会委員に任ぜられている。 同年、蒋介石打倒を図る唐生智が南京を攻略する構えを見せると、10月から夏威率いる第7軍は蒋の命令により白崇禧指揮下で迎撃に参加した。夏は第7軍を率いて唐軍を各地で撃破し、11月には武漢を攻略、唐を下野に追い込んでいる。その後も夏は湖南省へ進軍し、翌1928年(民国17年)1月に長沙を攻め落とした。ところが1929年(民国18年)3月の蒋桂戦争では、夏は酒に耽っているところを蒋に買収された部下の師長たちに蜂起され、ほとんど抵抗もできずに下野、香港へ逃亡するという大失態を犯している。
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