ヤン‐ヨーステン【Jan Joosten van Lodenstijn】
Jan Joosten Van Londensteyn (ヤン ヨーステン)
1556〜1623 (弘治2年〜元和9年) |
【貿易家】 その名前が、八重洲の地名となったオランダ貿易家。 |
オランダの航海士貿易家で。1600年、貿易船リーフデ号で豊後に漂着、航海長ウイリアム・アダムスらとともに徳川家康にヨーロッパ事情を伝えた。砲術顧問として、土地・屋敷を与えられ、日本人と結婚した。与えられた土地は、ヤン・ヨーステンの名前から八代州海岸と呼ばれ、現・東京都中央区八重洲の名の由来となっている。朱印船貿易に従事、オランダへの帰国交渉のため渡航したが、船の難破により死亡した。 |
年(和暦) |
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●1560年 (永禄3年) | ■桶狭間の戦い | 4才 |
●1563年 (永禄6年) | ■三河の一向一揆 | 7才 |
●1573年 (天正元年) | ■室町幕府滅亡 | 17才 |
●1575年 (天正3年) | ■長篠の戦い | 19才 |
●1580年 (天正8年) | ■イギリス商船平戸に来航 | 24才 |
●1582年 (天正10年) | ■本能寺の変 | 26才 |
●1584年 (天正12年) | ■小牧・長久手の戦い | 28才 |
●1587年 (天正15年) | ■バテレン追放令 | 31才 |
●1588年 (天正16年) | ■刀狩令 | 32才 |
●1590年 (天正18年) | ■家康江戸城に入る | 34才 |
●1592年 (文禄元年) | ■文禄の役(〜1596) | 36才 |
●1597年 (慶長2年) | ■慶長の役 | 41才 |
●1600年 (慶長5年) | ■関が原の戦い | 44才 |
●1603年 (慶長8年) | ■江戸幕府開府 | 47才 |
●1604年 (慶長9年) | ■朱印船貿易始まる | 48才 |
●1607年 (慶長12年) | ■第1回朝鮮通信使来る | 51才 |
●1609年 (慶長14年) | ■オランダ人に通商許可 | 53才 |
●1612年 (慶長17年) | ■幕府直轄領に禁教令 | 56才 |
●1612年 (慶長17年) | ■駿府の銀座を江戸に移す | 56才 |
●1614年 (慶長19年) | ■大阪冬の陣 | 58才 |
●1615年 (元和元年) | ■大阪夏の陣 | 59才 |
●1617年 (元和3年) | ■日光東照宮社殿竣工 | 61才 |
●1617年 (元和3年) | ■吉原遊郭の開設許可 | 61才 |
・藤堂 高虎 | 1556年〜1630年 (弘治2年〜寛永7年) | 0 |
・大久保 (彦左衛門)忠教 | 1560年〜1639年 (永禄3年〜寛永16年) | -4 |
ヤン・ヨーステン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/08 11:37 UTC 版)



ヤン・ヨーステン・ファン・ローデンステイン(Jan Joosten van Lodensteyn 〈Lodensteijn〉、1556年? - 1623年)は、オランダの航海士、朱印船貿易家。日本名は耶揚子(やようす)。現在の東京駅周辺の八重洲の地名の由来になった人物である。
教科書などで知られている「ヤン・ヨーステン」は名で、姓は「ファン・ローデンステイン」である。
来歴
デルフトのヨースト・ヤンシュ・ファン・ローデンステインとバルベルティ・ピーテルス夫妻の間に生まれた。ヨーステンは「ヨーストの子」の意味である。デルフトの有力者、ファン・ローデンステイン家の一族であった。なお「ヨーステン」は、現代では英語名のジョンソンなどと同様にそのまま名字とする家もある。
オランダ船リーフデ号に乗り込み、航海長であるイングランド人ウィリアム・アダムス(三浦按針)とともに1600年(慶長5年)4月19日、豊後に漂着した。
徳川家康に信任され旗本となり、江戸城の内堀沿いに邸を貰い、日本人と結婚した。屋敷のあった場所は現在の千代田区にあたり、現在の中央区八重洲の地名は1954年に成立したものである。「ヤン=ヨーステン」が訛った日本名「耶楊子」(やようす)と呼ばれるようになり、これがのちに「八代洲」(やよす)となり、「八重洲」(やえす)になったとされる[1]。
やがて東南アジア方面での朱印船貿易を行い、その後帰国しようとバタヴィア(ジャカルタ)に渡ったが帰国交渉がはかどらず、結局あきらめて日本へ帰ろうとする途中、乗船していた船がインドシナで座礁して溺死した。
記念像
八重洲地下街、外堀一番通り沿い(2019年現在)にある。LPJブラート作。
脚注
関連項目
- 八重洲
- 海外出身の武士の一覧
- メルヒオール・ファン・サントフォールト-ヤン・ヨーステンと共にリーフデ号で来日した航海士。
- ヤン・ヤンセ・ウェルテフレー-同時代の朝鮮半島に漂着し、朝鮮王朝に仕えたオランダ人。
「ヤン ヨーステン」の例文・使い方・用例・文例
- ヤンキースが2点リードしている
- ヤンキースは6連敗だ
- 5対3でヤンキースがレッドソックスを下す
- 野球でニューヨークヤンキーズはボストンレッドソックスと引き分けた
- 子どもの頃からヤンキースタジアムのバットボーイになることを夢見ていました。
- ヤングハローワークは30歳以下の若い人たちに仕事を紹介する国の機関です。しばしば「ヤンハロ」(「ヤングハローワーク」の省略形)と呼ばれます。
- ヤンキーススタジアムは私が住む州にある。
- 山でオニヤンマを捕まえました。
- ヤンキースは、名門の強豪チームだ。
- ヤンマがすいすいと水の上を進んでいた。
- ピョンヤンとワシントンの間で何らかの妥協に至ることが不可欠だ。
- ヤング夫人は、私が突然訪ねても気にしないでしょう。
- ヤング夫人は、私の突然の訪問を気にしなかった。
- ヤング先生はとても優しい。
- ヤング氏は6台も車を持っている。
- ヤングさんは息子がもっと勉強してくれる様にと願っている。
- ヤンキースは優勝へ独走態勢を整えている。
- ヤンキースがドジャースを負かした。
- 「天路歴程」が気に入ったので、私が最初に集めたのは小さい分冊本のジョン・バニヤン著作集だった。
- ヤンキーズは今夜レッドソックスと対戦する.
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