中世の臼杵湾
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/26 02:18 UTC 版)
戦国時代の1556年(弘治2年)、大友宗麟は臼杵湾に浮かびわずかに陸地とつながる丹生島に臼杵城を築き居城とした。臼杵城はその後の埋め立てにより、現在は、市街地にある丘の上に位置している。臼杵は、大友氏の城下町として栄え、南蛮貿易のポルトガル船や明船が入港した。1600年(慶長5年)には、ヤン・ヨーステンやウィリアム・アダムスが乗船したオランダ船リーフデ号が豊後に漂着したが、その地は臼杵湾北部の黒島沖であったと伝えられている。
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