中世の西道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 10:07 UTC 版)
西道という地名は室町時代より見え、大隅国向島のうちであった。永享11年(1439年)の島津持久袖証判の寄進状に「向島西堂之村」として西道という地名が見える。天文6年(1537年)には島津勝久が本田董親に向島地頭を任じた際に「さいたう」などを宛がった。
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