中世の羊羹
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/03 01:14 UTC 版)
日本の文献における「羊羹」の初出は室町時代前期(1300年代後半)に書かれた『庭訓往来』の「点心」の記事とされる。タケノコ入りと考えられる「箏(笋)羊羹」と、砂糖入りと考えられる「砂糖羊羹」の記載がある。当時の羊羹は汁とともに食べるものであった。1504年頃の武家の作法書『食物服用之巻』を見ると、羊羹の膳で汁と具が別々になっており、その後酒宴での料理の一品、そして菓子へと変化していく中で汁が添えられなくなっていったと考えられる。 御成の献立にも羊羹が登場する。御成の献立記録を江戸時代に写した『膳部方記録』を見ると、このときの羊羹の材料には生豆(小豆と考えられる)の粉、小麦粉、葛粉をこねたものが使われており、山芋や胡桃などを入れて蒸すと記載されている。砂糖や汁の有無については記載がない。 1500年代半ばに茶の湯が盛んになると、羊羹は「菓子」として茶会で供されるようになる。ただし、当時の茶会では甘い物以外に酒の肴も出されており、現在イメージされる甘い羊羹だったとは言い切れない。
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