中世の考え方
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中世ヨーロッパではアリストテレスの考え方が広く知られていたので、人々はそうした見方で世界を見ていた。以下のような考え方である。 我々人間は、それぞれの家に住んでいる。人間は何かの理由で家から離れることがあっても、結局はその家に帰ろうとする。動物も同じだ。地リスは地面に巣穴を持っている。何かの理由があると、たとえば危険を感じると、穴から一時的に離れることはあるが、危険がさればやはりその巣穴に戻ろうとする。鳥もそうだ。鳥も何かの理由、例えば食べ物を探すために一時的に巣から飛び立つことがあるが、結局はその巣へ帰ってくる。命あるものは全て、それぞれの性質に応じて本来の位置というものをもっていて、一時的にそこから離れることはあっても、結局はそこへ帰ろうとするものだ。 生き物がそれぞれ本来の位置というのを持っているように、物(無生物)も、それぞれの性質に応じて本来の位置を持っている。たとえば小石はその本来の位置を地に持っている。焔はその本来の位置を天上に持っている。 例えば、小石を空中に投げれば、小石は本来の位置から離されることになり、小石は一旦は抵抗を示しながら上に上がるが、結局はできるだけすみやかに、その本来の位置である地に戻ってこようとする。 だが、無生物でも、その本来の位置を持たないと思われる存在がある。天に見える天体である。天体は永久に同じ運動を繰り返すばかりで、その本来の位置を持っていないように見える。そこで中世の人々は、地上の存在と天の存在は本質的に異なっていると考え、地上の存在はただの存在であり、それに対して天の世界に属する存在、永遠に運動を繰り返す天体は、いわば霊的な存在である、と考えた。中世の人々は、天の世界は地上とは全く別の法則が働いている別世界なのだ、と考えていたのである。また、天の世界の、地上とは異なった性質を説明するために、地上は四元素でできているのに対して、天体は第五元素でできている、とも考えていた。
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中世の考え方
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 15:47 UTC 版)
「インペトゥス理論」を参照 「中世イスラム物理学」、「スコラ学」、および「中世哲学」も参照 「コナトゥス」と運動それ自体の間には伝統的につながりがあった。アクィナスとユダ・レオン・アブラヴァネル(1265年 - 1321年)は二人ともこの概念を、ヒッポのアウグスティヌス(354年 - 430年)が著書『神の国』で「自然本性的な上下の運動、つまり中間の位置で自身の釣り合いを保つ運動」と見なしたものと直接に関係付けた。彼らは物体を上げ下げするこの力を「amor naturalis」つまり「自然本性的な愛」と呼んだ。 6世紀に、ヨハネス・ピロポノス(490年 - 570年)はアリストテレスの運動の理論を批評し、アリストテレスの発射体に関する議論の中に矛盾が含まれると指摘した。アリストテレスはアイテールの媒体では発射体の運動が保存されると言い、一方アリストテレスの虚空に関する議論では、そのような媒体が存在せず、そのため物体の運動は不可能であるとされている。ピロポノスは、運動は運動する物体を包み込む媒体によって維持されるのではなく、ある特性、つまり運動し始めると物体に植えつけられる「コナトゥス」によって維持されると主張した。ただしこれは近代的な慣性の概念とは違う、というのはこの場合にはまだ物体が運動し続けるためには固有の力が必要とされているからである。この考え方は、アリストテレスを支持したイブン・ルシュドやスコラ学者たちに強く反対された。しかしアリストテレスの考え方はイスラーム世界からも挑戦された。例えば、イブン・アル=ハイサムはピロポノスの考え方を支持したようである。ただその一方でイブン・アル=ハイサムは慣性に類似した概念を発展させた。慣性の概念は、その効果が空気抵抗のような外的な力の結果としてのみ消散するような永続的な力について考えたイブン・スィーナーによってより明確に発展させられた。このことでイブン・スィーナーは「非自然的な運動に関してそういった永続的なタイプの銘記された力を考えた最初の人物」となった。イブン・スィーナーの「マイル」という概念はアリストテレスの激しい運動の概念とほとんど反対のものであり、むしろ慣性の法則、つまりニュートンの第一運動法則を思い出させるものであった。イブン・スィーナーは、運動する物体の重さと速度の間に定量的な関係を与えようとして、運動量と同様の概念も発展させた。 ジャン・ビュリダン(1300年 - 1358年)も以前の考えを否定してこの運動を生じさせる特性という考えを採用したが、彼はそれを「インペトゥス」と名づけ、徐々に消散していくものとした。ビュリダンの立場は、空気抵抗と、物体の持つインペトゥスに逆らう物体自身の重さに運動する物体がとらえられるというものであった。また、彼は、インペトゥスは速度に比例して増大すると主張した。彼の最初のインペトゥスに関する考えは多くの点で近代的な運動量の概念と似ている。より近代的な慣性の概念に明らかに似ているにもかかわらず、ビュリダンは自身の理論をアリストテレスの基本的な哲学を修正したものにすぎないとみなしており、運動している物体と静止している物体の間にはまだ根本的な違いがあるという考えを含む多くの逍遥学派の考えを主張した。また、ビュリダンは、インペトゥスは本性上直線的にだけではなく円的にも働き、天体のような物体に働いて円運動をさせると主張した。
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