中世の荒川
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 21:14 UTC 版)
荒川流域の甲府市飯田・池田・千塚・甲斐市島上条一帯は「飯田河原」と称された。『王代記』によれば、大永元年(1521年)2月には駿河国の今川氏の武将・福島正成が甲斐へ侵攻する福島乱入事件が発生する。『高白斎記』によれば、駿州往還から北上した福島勢は3月16日に南アルプス市戸田の富田城を攻略し、甲斐市竜地に布陣すると荒川を挟んで甲斐守護・武田信虎勢と対峙するが、10月16日に飯田河原の戦いにおいて敗退する。信虎はさらに11月23日に甲斐市島上条一帯の上条河原の戦いで福島勢を撃退し、甲斐から駆逐した。
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