飯田河原の戦いとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 飯田河原の戦いの意味・解説 

飯田河原の戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/04 01:27 UTC 版)

飯田河原の戦い(いいだがわらのたたかい)は、永正18年(1521年)2月に、武田氏今川氏の間で起きた合戦

概要

永正18年(1521年)2月に甲斐国武田信虎が甲斐の国衆をまとめていくことを脅威に感じた今川氏親福島正成を総大将とし侵攻した。富士川沿いの街道を北に進軍すると穴山隊と合流し、躑躅ヶ崎館攻めの準備に入った。

今川軍8000に対し武田方は、2000で挑んだ。すると武田軍は、荒川の上流でせきどめて川が安全かのように見せ、今川軍が渡ったところで堤防を壊し背水の陣にさせた。結果は今川方の福島正成が討死し、今川軍のほとんどが討死した。

脚注




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  飯田河原の戦いのページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「飯田河原の戦い」の関連用語

飯田河原の戦いのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



飯田河原の戦いのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの飯田河原の戦い (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS