中世の貨幣論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/20 10:19 UTC 版)
イスラーム世界ではアッバース朝以降に商業書が多数書かれ、中でもディマシュキーの『商業の功徳』が有名である。ディマシュキーは、度量衡や貴金属についての貨幣論を書いており、ヨーロッパの商業学にも影響を与えた。15世紀エジプトの歴史学者マクリーズィーは、金銀を取引の中心にすえて貨幣政策を行うように主張しており、現在の貨幣数量説に近い。 ヨーロッパでは、ニコル・オレームがシャルル5世の貨幣政策に影響を与えた。オレームは貨幣の改鋳を分類し、(1)形態の変化、(2)比価の変化、(3)価格の変化、(4)重量の変化、(5)素材の変化とした。当時は君主によって改鋳が行われていたが、オレームは基本的に改鋳を禁じ、貴金属の不足や公共費用の支出などが発生した場合に例外的に認めるべきとした。フィレンツェのペゴロッティ(英語版)は商業書『商業実務(英語版)』において中国との貿易を説明しており、貨幣レートについても記録している。
※この「中世の貨幣論」の解説は、「貨幣史」の解説の一部です。
「中世の貨幣論」を含む「貨幣史」の記事については、「貨幣史」の概要を参照ください。
- 中世の貨幣論のページへのリンク