中世の里
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 22:44 UTC 版)
「塩田氏系譜」によれば、藤原実顕が文治或いは建久年間に甑島に下向して塩田の地を領したとされており、同じ頃に千葉常胤が薩摩国薩摩郡・高城郡・入来院・東郷別府・甑島の地頭に補任されていたとされる。 鎌倉時代の宝治元年(1247年)の宝治合戦の結果の勲功賞として、宝治2年(1248年)に千葉氏の遺領であった甑島は、鎌倉幕府の武蔵国御家人であった小川季能に与えられた。季能の子である季直は甑島に下向して、里に亀城・鶴城を築城し居城とした。
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