中世の防衛施設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/16 22:01 UTC 版)
14世紀に建設された都市防衛施設は、両市の中世の市壁(ドイツ語版)、5本の防衛塔、2つの市門の一部が遺されており、観光の魅力の一つとなっている。中世には、ヴァールブルクは、大部分が切石製の二重の壁で囲まれており、アルトシュタットとノイシュタットの市門を通って出入りしていた。 アルトシュタットの市民は最初に城とヨハニス楼門とを結ぶ壁を建造した。ブルクベルクの中腹にカッテン塔を建設した。1300年頃に建設されたザック門の近くのザック塔(ザクセン塔)は1443年に建設された。この塔は、どっしりとした最も高い塔で、アルト=ヴァールブルクの象徴的建造物であった。1446年からは監獄としての機能も持った。ザック門は司教の城への西の入り口近く、ザック通りの最高地点にあった。司教によるアルトシュタット市民とノイシュタット市民との利害調整の議論はここで行われた。 1830年になるまで、ヴァールブルク市には10本の塔と、9つの市門があった。アルトシュタットの市壁には 5つ、ノイシュタットの市壁には 4つの門があったが、ザック門とヨハニス門だけが現存している。他の門は1801年から1840年の間に破壊され、その姿は一部だけが伝承されている。門の形は、内側と外側の2つの市壁の間にあたるシュタットツヴィンガーを前提としていた。ザック門あるいはペトリ門は典型的なツヴィリング門として改築されたが、外側のアーチは損壊した後再建されなかった。現在ザック塔内には第二次世界大戦の犠牲者のための追悼スペースが設けられており、ここを通って城内墓地に行くことができる。元々中世の防衛施設には 20以上の塔が含まれていた。そのうち 5本が保存されている: アルトシュタットのビールマン塔、カッテン塔、ヨハニス塔およびザック塔、ノイシュタットのフランケン塔である。円形のザック塔とビールマン塔は六角形の屋根を戴いており、四角形の平面を持つヨハニス塔とフランケン塔は四角形の屋根を戴いている。城内墓地のカッテン塔は上部が開いており、ディーメルタール越しに隣接するヘッセンまでの眺望が得られる。
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