アルトシュタットとは? わかりやすく解説

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アルトシュタット

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 05:23 UTC 版)

フランクフルト・アム・マイン」の記事における「アルトシュタット」の解説

この街で最も重要な3つの見所がアルトシュタットに集まっている。カイザードーム大聖堂)、レーマーベルクパウルス教会である。 特徴的な後期ゴシック様式西塔を持つカトリック聖バルトロメウス大聖堂は、皇帝選挙戴冠が行われた場所である。この大聖堂からレーマー市庁舎)に通じる道はケーニヒスヴェーク(王の径)と名付けられている。新たに戴冠した皇帝が、市庁舎への宴のために行列連ねた通りである。現在(2013年)、大聖堂前には、ローマ時代カロリング朝時代出土品発掘され考古学の庭(ドイツ語版)がある。レーマーベルクドイツ語版)は、アルトシュタットの中心となっている広場で、14世紀市庁舎レーマー)、初期ゴシック様式の旧ニコライ教会戦争破壊された後に再建され広場東側一連の建造物などがある。地元クラブアイントラハト・フランクフルトやフランクフルト・ライオンズ)がタイトル獲得した際には、市庁舎バルコニー祝勝イベント開かれるサッカーワールドカップの際にも、ファンとともにこれを祝ったパウルス教会は、1786年取り壊され中世跣足教会替えて1789年から1833年建設され教会で、1944年までプロテスタント中央教会として使用された。ヨハン・ゲオルク・クリスティアン・ヘスによるこの古典主義様式円形建造物内で、1848 / 49年フランクフルト国民議会開催された。パウルス広場オープンカフェで賑わう。 レーマーベルクとリープフラウエンベルクとの間にノイエ・クレーメ通りがある。リープフラウエンベルクには、14世紀建立されたリープフラウエン教会聖母教会)、1770年建造のリープフラウエンブルネン(聖母の泉)、フランクフルトに残る数少ないバロック建築1つである1775年建造家屋「ツム・パラディース/グリムフォーゲル」がある。 1944年破壊された後、1954年新設されたクラインマルクトハレ(訳は「小市場」。屋内市場)は、平日には150上のテナントあらゆる種類食材売られている。この他に、アルトシュタット西部にはゲーテ生家がある。現在では閑静な通りのコルンマルクト(訳「穀物市場」)は、中世にはこの市のメインストリートであった。 カイザードーム レーマーベルク東側一連の建物左端大聖堂西塔考古学の庭 レーマー全景ニコライ教会 パウルス教会 ノイエ・クレーメ通り通してみる聖母教会 聖母の泉 クラインマルクトハレの内部 ゲーテ生家

※この「アルトシュタット」の解説は、「フランクフルト・アム・マイン」の解説の一部です。
「アルトシュタット」を含む「フランクフルト・アム・マイン」の記事については、「フランクフルト・アム・マイン」の概要を参照ください。

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