中世盛期・末期とその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 00:56 UTC 版)
「ブランデンブルク・アン・デア・ハーフェル」の記事における「中世盛期・末期とその後」の解説
ブランデンブルク辺境伯領の中心であるこの地は、アスカーニエン家の領有となった時点、幾つもの集落によって構成されていた。それらは後に3個の独立した共同体にまとまった。一つの共同体はドームインゼル(Dominsel)ないしブルクインゼル(Burginsel)といわれるもので、この地域の統治の中心地で、住民は農業、商工業に従事していた。それゆえブランデンブルクは都市的性格を有した。12世紀プレモントレ会は司教座教会(Kathedralkirche des Bistums)を建立している。もう一つの共同体は、ハーフェル川西岸に成立したアルトシュタット(Altstadt)で、住民の職業は農業と商業であった。ここにはフランシスコ会が修道院を建設した。第3の共同体はハーフェル川左岸に辺境伯オットー2世の建設したノイシュタット(Neustadt)で、資料初出は1196年である。住民は商業と工業に従事した。この地区にはドミニコ会が修道院を設立した。13世紀・14世紀アルトシュタットとノイシュタットは辺境伯から経済的発展に欠かせない諸権利を獲得したが、中世末期には、東方に拡大し続ける選帝侯領の中心から大きく外れることになり、ブランデンブルク市は周辺に及ぼす影響力を失った。1715年アルトシュタットとノイシュタットは合併した。
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