中世盛期からルネサンス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/10 21:17 UTC 版)
「ヴェローナ」の記事における「中世盛期からルネサンス」の解説
1117年にヴェローナ近郊を震央とするM6.9の地震(イタリア語版)が発生した。この地震によって全体で約3万人が死亡、ヴェローナでは円形闘技場や聖堂・教会などほぼすべての建築物がダメージを受け、ロマネスク様式以前の建築物(イタリア語版)がほぼ一掃された。 1136年、ヴェローナは都市特許状を得、コムーネとなった。封建時代のヴェローナは寡頭制を取り、幾つかの有力な貴族によって統治されていた。13世紀には、神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世の協力を得て、パドヴァ、ヴィチェンツァ、トレントを征服した。13世紀以降のローマ教皇と皇帝の争いでは、ヴェローナの支配者はエッチェリーノ3世・ダ・ロマーノのように概して皇帝派(ギベリン)についた。ヴェローナの支配者はスカリジェリ家(デッラ・スカラ家)、ヴィスコンティ家、パドヴァのカッラーラ家と変わっていき、ヴェローナの支配層の間には憎しみを帯びた熾烈な闘争があった。その模様はシェイクスピアの戯曲の中にも描かれている。パドヴァのカッラーラ家はヴェローナの同盟者のひとりであったが、1402年にヴィスコンティが死ぬと、ヴェローナの支配権を手中に納めた。しかし3年後にはカッラーラ家は滅び、ヴェローナとパドヴァの両方を失うことになった。おそらくはカッラーラ家とともに、ヴェローナを蔽った闘争の時代は終わったのであろう。 1405年にヴェローナはヴェネツィア共和国の支配下に入った。ルネサンス期のヴェローナは商業また文化の中心として発展した。この世紀における人口には振幅が激しく、1511年に38,000人だった人口は1512年には25,000人に減少し、1526年には55,000人に上るが、1530年にはペストのため20,000人に減少している。数多くの学校が生まれ、ヨーロッパ規模の文化的な活動が展開された。ヴェネツィア共和国の支配は、1797年の共和国の終焉まで続いた。
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