中世海部氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/11 22:57 UTC 版)
史料に見える中世海部氏について。 海部但馬守は1352(正平7)年に細川顕氏(あきうじ)によって、山城国久世荘の乱暴人を排除するよう命じられた。 1392年(明徳3年)、京都五山の一つ、相国寺の落慶供養に、管領細川頼元に随従して、月毛の馬に乗って海部三郎経清が出てくる 1420年(応永27年)、阿波守護細川義之の若党「カイフト云者」が登場する(「満済准后日記」)等々。 このように、中世海部氏は文献上ではまず京都に登場してその名を知られる。中世阿波と細川氏の関係は深い。
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