共和国の終焉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 17:46 UTC 版)
「第一共和国 (オーストリア)」の記事における「共和国の終焉」の解説
詳細は「アンシュルス」を参照 1938年2月12日、ナチ党のアドルフ・ヒトラー総統はオーバーザルツベルクのベルクホーフにシュシュニク首相を呼び、オーストリアにおけるナチ党政治犯の釈放、オーストリア・ナチ党のアルトゥル・ザイス=インクヴァルトを内相に任命することを要求、オーストリアに対して公然と圧力をかけた(ベルヒテスガーデン協定(ドイツ語版))。軍事措置をちらつかせたこの要求に対し、シュシュニク首相は要求を飲む一方で、(非合法化していた社会民主党に協力を要請し)合邦の是非を問う国民投票の実施によりドイツの圧力を切り抜けようとしたが、期待していたイタリアからの支援は拒絶され、3月11日にはドイツ軍がオーストリア侵攻のため国境地帯に進出した。同日シュシュニクは首相を辞任して、後任にはザイス=インクヴァルトが就任、彼の要請によりドイツ軍はオーストリアに進駐、シュシュニクは身柄を拘束された。3月13日、ザイス=インクヴァルト首相単独の署名(ミクラス大統領の署名を得られなかった)により「合併法」が公布、4月10日には独墺両国で合邦の是非を問う国民投票が実施され、合邦は両国で圧倒的支持票(ともに全体の99%)を獲得した。こうしてオーストリアはドイツに併合されてオーストリア州(Land Österreich)となり、第一共和国は名実ともに消滅した。
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