共和国の成立
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「ハンガリー第二共和国」の記事における「共和国の成立」の解説
1945年11月に開催された選挙は、カトリック政党の出馬が禁止されたものの、富農から中小農を支持基盤とする独立小農業者党が57%の票を得て、単独過半数を確保する第一党となった。それに対してラーコシ・マーチャーシュとゲレー・エルネー率いるハンガリー共産党は、わずかに17.4%の票を得たのみであった。選挙前に民族独立戦線の維持がすでに合意されていたために単独政権とはならず、小農業者党の左派であったティルディ・ゾルターンが初代大統領となり、小農業者党のナジ・フェレンツ(英語版)首相となった。共産党からはラーコシが首相補佐となり、ライク・ラースローが内務大臣になった。ラースローはその任期中にハンガリー国家警察・国家保衛部(Magyar Államrendőrség Államvédelmi Osztálya、略称ÁVO)を設立した。これにより共産党は政治警察の権力を手に入れた。しかしこの時期、ソ連はまだ独立小農業者党と協調する動きを見せていた。1946年2月1日、正式に第二共和国が発足した。共産党は社会民主党、全国農民党と左派連合を結成した。12月にはホルティ派の地下組織が摘発され、小農業者党の一部に連座者が出た。
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共和国の成立
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1946年5月5日の国民投票で新憲法草案が否決されたため、6月2日改めて制憲議会を選出し、10月13日新憲法草案は国民投票によって承認され、第四共和政が誕生した。第四共和国憲法は両院制や大統領の議会選出を定め、大統領より議会の大幅な権限を規定しており、第三共和国憲法とほとんど同じだった。このため、新共和国でも短命内閣が続くことになる。1947年1月16日社会党系のヴァンサン・オリオールが新大統領に就任した。 一方、ド・ゴールは政党から超然とした組織であるフランス国民連合(RPF)を結成し、初期の共和国議会は共産党、社会党、国民連合が三大政党となった。当初は共産党も閣僚を送り込んでいたが、1947年ラマディエ首相が共産党系閣僚を解任したため、社会党を中心とする政府は左派の共産党、右派の国民連合から攻撃を受け、不安定な政局運営を強いられた。ド・ゴールは国民連合が政党化してしまったことに失望し、1953年国民連合を突如解散して政治から引退した。
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