初期の共和国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/22 23:40 UTC 版)
「スプリウス・ルクレティウス・トリキピティヌス」の記事における「初期の共和国」の解説
ブルトゥスとコッラティヌス(双方ともに王の甥)はローマの初代執政官に選出された。ディオニュシオスによると、まずルクレティウスがインテルレクスに任命され、二人に王の権力を引き継いだという。コッラティヌスはその名前が退位させられた王を思い出させるとの理由で、民衆からの辞職の要求に晒された。ブルトゥスは彼に、民衆をあの忌むべき王から解放したのだから、今度はこの憎むべき名前から彼らを解放してやるよう説得した。リウィウスはこの件に対するルクレティウスの関与を記している: "はじめコッラティヌスはこの突拍子もない要求に驚き声も出なかった。有力者たちは彼を取り囲み同じ嘆願を繰り返したが、到底受け入れられず断った。彼よりも年齢もキャリアも上で、なおかつ義理の父であるスプリウス・ルクレティウスがありとあらゆる方法で説得してやっと、彼はこの嘆願を聞き入れた。この執政官は彼の任期が切れ一般人に戻ってからも同じ要求がなされる事を恐れ、資産の喪失と不名誉を伴うものの、正式に辞任し、所有物のすべてをラティウムにあるラヌウィウムへと移し、ローマを引き払った。"
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