初期の共同保育所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/10/20 09:37 UTC 版)
第二次世界大戦後、公立の保育所が普及していなかった時期から、共働き核家族世帯の子どもたちを共同保育する取り組みが、大都市部で散見されるようになった。 1953年には、東京大学に職場保育所 「ゆりかご保育園」が設けられたが、これには共同保育所としての側面があった。 1954年に結成された「働く母の会」は、各地で保育所の拡充を求める運動を起こすとともに共同保育所の運営にも取り組んだ。 こうした共同保育所では、公的補助がほとんどない状況の中で運営費を捻出するために、廃品回収活動などに取り組むなど、保護者の運営への関与が非常に大きかった。 おおむね1950年代から1960年代はじめにかけて設けられた共同保育所は、こうした施設の初期の事例として言及されることがある。 1962年に愛知県初の事例として名古屋市に開設された「池内共同保育所」は、市営住宅に居住していた夫妻が、自宅の一室を提供して発足し、公立保育所建設運動にも取り組んだ。 同じく1962年に開設された東京都文京区の共同保育所「あゆみ保育園」も、「無認可共同保育所の草分け的存在」とされている。 一般の子どもたちを対象とする共同保育所とともに、もっぱら障害をもった子どもを対象とする保育施設の設置や、障碍児を普通児とともに保育する試みも、共同保育所という形態の中で取り組まれた。
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