初期の入植者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/07 02:00 UTC 版)
「ウォーソー (ウィスコンシン州)」の記事における「初期の入植者」の解説
1848年、革命から逃れてきたドイツ系移民がこの地に移入し、人口の増加をもたらした。ウォーソーは1852年に町として創設され、1861年には村として正式に法人化された。やがて教会や学校が建ち始め、産業や社会組織が興り始めた。1872年には、ウォーソーは市制を施行し、同年4月の第1火曜日に選挙が行われた。1874年には、ドイツ系移民のオーガスト・カークブッシュが初代市長に選出された。 その5年前、カークブッシュはドイツに一時帰国し、702人の同郷者を連れてこの地に戻ってきた。この時の702人は全て、この地に入植したと考えられている。また、カークブッシュはこの地で雑貨屋を始め、孫のオーガスト・カークブッシュ2世が店を引き継いだ。1917年、カークブッシュはダウンタウンの北東、グラント・ストリート513番地に、四辺形の質素な家を購入した。この家屋はアンドリュー・ウォーレン歴史地区の一部として、1984年に国家歴史登録財に登録された。 1874年にウォーソーまで鉄道が開通すると、入植者や産業がウォーソーにより流入しやすくなった。このことによって、森林資源が枯渇してきて下火になってきていた製材業に代わる、新たな地域経済の成長の源となる産業が生まれてきた。1900年代に入ると、森林資源の枯渇により製材所が相次いで閉鎖し、周辺の町村は軒並み衰退していったが、ウォーソーの街だけは成長を続けた。
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