初期の俳優活動と成功
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 07:08 UTC 版)
崔銀姫は日本統治下の朝鮮、京畿道の広州市に1926年に生まれた。1944年に高等女学校を卒業し、劇団「現代劇場」に入り、演劇活動を開始した。同年、映画監督の金学成と結婚したが朝鮮戦争勃発に際し、離婚した。芸名の「銀姫」は、第二次世界大戦後、当時の流行小説から採ったものである。彼女の映画デビューは1947年の『新しき誓い』であった。彼女は、1948年の映画『夜なかの太陽』に出演したのち、翌年から名声を博するようになり、すぐに女優の金芝美(英語版)(キム・ジミ)や厳鶯蘭(英語版)(オム・エンナン)とともに「韓国映画のトロイカ」と並び称されるようになった。 1954年に申相玉監督と結婚すると、2人は申(シン)フィルムを設立した。2人は1960年代の韓国にあって唯一、メジャー・スタジオによる映画制作システムを成し遂げた。崔銀姫は130本以上の映画に出演し、1960年代と1970年代には韓国映画界最大のスターの1人と見られた。彼女は、1958年の『地獄花』や1961年の『離れの客とお母さん』など、象徴的な申相玉作品の多くに出演した。1964年には、俳優業のかたわら、安養映画芸術学校(京畿道安養市)の校長として後進を養成する立場となった。 彼女が不妊症と診断された後、夫妻は正均(ジョンギュン)とミョンキムという男女2人の子どもを養子にむかえ、赤ん坊のころから育てた。
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