初期の保護の努力
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 01:50 UTC 版)
1891年に、ニュージーランド政府は、フィヨルドランドのリゾリューション島を自然保護区に指定し、1894年にリチャード・ヘンリーを管理人に任命した。熱心な自然主義者であるヘンリーは、ニュージーランドの鳥が持ち込まれた捕食者、特にネズミとシロテンによって減少していることを知った。彼はリゾリューション島のような捕食者のいない島の価値に着目して、カカポとキーウィをこの島に移すことにした。彼は6年間に200羽以上カカポをリゾリューション島の方へ移した。しかし、1900年までにシロテンはリゾリューション島に泳いで移住し、6年以内で全てのカカポを殺しつくした。 1903年に3羽のカカポがリゾリューション島からオークランドの北東部のハウトュル島自然保護区まで移されたが、野生化した猫が生息していたためカカポは観察されなくなった。1912年に、3羽のカカポがウェリントン北西の保護区カピュティ島に移された。そこにも猫が生息していたが1936年までには1羽が生き残っていた。 しかし、第一次世界大戦と大恐慌という世界的出来事によって、保護運動への関心は下がった。ほとんどの人々の関心がよそに移っている間にカカポの個体数は激減した。1920年代までにカカポは北島から絶滅し、南島でも個体数は激減し、生息域は狭まっていった。もはや彼らの最後の生息域は険阻なフィヨルドランドだけとなった。そこでは1930年代の間には彼らは目撃され、鳴き声なども聞かれていたが、しばしばハンターや登山者によって食べられた。1940年になるとカカポに関する報告は聞かれなくなった。
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