初期の公刊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/24 06:37 UTC 版)
この作品が最初に公刊されたのは、1558年のことである。この年にピエール・ボエスチュオーが『幸福な愛人たちの物語』(Histoires des amans fortunez)という書名で公刊した。ボエスチュオーは公刊にあたり、大幅な編集を施した。扱われている短編は67篇だけである上に、配列が組み換えられ、本来存在していた日付ごとのまとまりも放棄された。加えて、各短編を繋ぐやりとりも省略された。 2度目の公刊は翌1559年に実現した。この時の編集者クロード・グリュジェは、初版で乱された配列を元に戻し、省略されていたプロローグとエピローグも採録するなど、本来の姿の復元を試みる編集を行った。最初の70篇が7日間という枠組みで語られていることに由来する『エプタメロン』という書名も、この時に付けられたものである(エプタメロンは、ギリシャ語のέπτά 「7」とημέρα「日」が語源である)。
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