ドイツに一時帰国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:20 UTC 版)
「エルヴィン・ロンメル」の記事における「ドイツに一時帰国」の解説
一方ロンメルの病気はますますひどくなり、ドイツ本国へ一時帰国することになった。ロンメルは自分が不在の間、後任のゲオルク・シュトゥンメ装甲大将が今の戦線を保ってくれることを期待して「悪魔の花園(トイフェルガルテン)」と名付けた凄まじい密度の地雷原(地雷の総計44万個)を独伊軍正面に作らせた。その後の9月23日に北アフリカをあとにし、ローマを経由してベルリンへ帰還した。9月25日には総統官邸でヒトラーから元帥杖を下賜された。式典出席などの公務をこなした後、10月3日にはヴィーナー・ノイシュタットの自宅に帰り、療養した。 一方モントゴメリーは「すぐに攻勢を行え」と命じるチャーチルを抑えて、ドイツ軍のIV号戦車に対抗できる戦車であるアメリカ製のシャーマン戦車の到着を待ち、英軍戦車1000両VS独伊軍戦車300両という決定的な物量差が開いた後の10月23日夜中から「ライトフット作戦」を発動して攻勢を開始した。こうして第二次エル・アラメインの戦いが始まった。国防軍最高司令部から北アフリカで英軍の攻勢がはじまったこと、ロンメルの後任のシュトゥンメ装甲大将と連絡が取れなくなっていること(シュトゥンメは24日の戦闘中に心臓発作により死亡していた)を告げられたロンメルは10月25日に急遽北アフリカに戻った。
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