ドイツによる中国国民党軍の軍備再編
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 17:20 UTC 版)
「中独合作」の記事における「ドイツによる中国国民党軍の軍備再編」の解説
ドイツの軍事援助は、人材育成と組織整備だけでなく、軍需物資提供に及んでいた。ゼークトの分析によると、中国式兵器の8割は近代戦で使えない代物だった。中独合作の一環として、揚子江沿いにある既存の兵器廠を発展させていく方針が盛り込まれていた。例えば、漢陽兵工廠(en) は、1935年から1936年にかけて最新設備に作りかえられた。この工廠で、二四式機関銃、8cm迫撃砲の他、マウザー製Kar98k小銃をモデルとして、蔣介石の名前を取った中正式歩兵銃が作られた。 中正式歩兵銃と漢陽88式歩兵銃は、国民革命軍全軍に配布され、有力な火器として使用された。また別の工場では、ガスマスクの製造と、最終的には中止されたものの、マスタードガスの製造プラントの建設が計画された。1938年5月、湖南省に20mm、37mmおよび75mm砲の生産工場が作られた。1936年後半、南京近郊に双眼鏡、狙撃銃用の照準器等の光学部品工場が作られた。 このほかにも、MG34、各種口径の山砲、装甲偵察車Sd Kfz 222などの工場が作られた。軍事研究所もいくつか作られた。兵工廠研究所、イーゲー・ファルベン社指導で作られた化学研究所などである。これらの多くはドイツで教育を受けた中国人技術者により運営された。一方、1935年から1936年にかけて、中国はドイツにM35型シュタールヘルム31万5千個と、Gewehr 88小銃、Gewehr 98小銃、モーゼルC96型拳銃多数を注文した。さらに、少量ではあるが、ヘンシェルHs 123や、ユンカース、ハインケル、フォッケウルフの航空機を購入し、一部は中国国内で組み立てている。さらに、ラインメタル、クルップから3.7 cm PaK 36や15cm sFH 18などの榴弾砲、対戦車砲、山砲、さらにはI号戦車などの装甲戦闘車両を購入した。 これらの近代化は直後の日中戦争で効果を発揮し、殊にドイツの支援で上海一帯に構築された陣地の攻略などで日本軍は予想以上の犠牲を払うこととなった。国民政府は多くの主要都市の占領を許したものの、国民革命軍自体の士気の維持を保つことには成功した。一方で、日本軍は国民政府が遷都した重慶を無差別爆撃はしたものの、地上部隊による攻撃は終戦に至るまで出来なかった。
※この「ドイツによる中国国民党軍の軍備再編」の解説は、「中独合作」の解説の一部です。
「ドイツによる中国国民党軍の軍備再編」を含む「中独合作」の記事については、「中独合作」の概要を参照ください。
- ドイツによる中国国民党軍の軍備再編のページへのリンク