ドイツによるアイルランド空襲の年表
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/03 17:09 UTC 版)
「第二次世界大戦中のダブリン空襲」の記事における「ドイツによるアイルランド空襲の年表」の解説
アイルランドは中立国であるにもかかわらず、いくつもの爆撃を経験した: 1940年8月26日: ドイツによる昼の空襲で5発の爆弾がウェックスフォード県に投下され、その内1発がキャンパイル(英語版)のシュルボーン酪農組合乳業工場に命中し、3人が死亡した。 1943年、ドイツ政府は9,000ポンドの賠償金を支払った。 1940年12月20日: 19時30分頃、ダン・レアリー近郊のグラススール(英語版)に2発の爆弾が落ち(1発目はロスミーン・パークとサマーヒル・ロードの交差点、2発目はロスミーン・パークとロスミーン・ガーデンの間)、3人が負傷した。その約30分後には、モナハン県のカリックマクロス(英語版)付近に3発目の爆弾が落ち、1人が軽傷を負った。 1941年1月1日-2日: ミーズ県、カーロウ県、キルデア県、ウィックロー県、ウェックスフォード県、ダブリン県に爆弾が落とされた。 ミーズ県ではデュリーク(英語版)に5発、ジュリアンズタウン(英語版)に3発の爆弾が落ちたが、死傷者は出なかった。カーロウ県ではノックロー(英語版)の住宅が破壊され、3人が死亡、2人が負傷した。キルデアでは3発の高性能爆弾と多数の焼夷弾がカーラ(英語版)地区に落ち、ウィックローのエニスケリー付近では2発の機雷がパラシュートで投下された。ウェックスフォードのバリーマーン(英語版)ではドイツ軍の爆弾が3発落ちたが、死傷者はなかった。ダブリンではテレニュア(英語版)にドイツ軍の爆弾が落ち、2発はラスダウン・パークに、別の2発はフォートフィールド・ロードとラヴァーナ・グローブに落ちた。負傷者が出たが死者はなかった。 1941年1月3日: ダブリンは再びドイツ空軍による空襲を受け、サウス・サーキュラー・ロード(英語版)のドノア・テラスに爆弾が落ち、20名が負傷したが、死者はなかった。 1941年5月31日: ダブリン北部のノース・ストランド(英語版)地区にドイツ軍の爆弾4発が落ちて28人が死亡し、空襲の中で最多の犠牲者がでた。 1941年6月2日: アークロー(英語版)がドイツ空軍の爆撃を受けたが、死傷者は出なかった。 1941年7月24日: ダンドークに爆弾が落ちたが、被害は軽微で死傷者は出なかった。
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