ドイツにおける誕生と衰退
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「新ヘーゲル主義」の記事における「ドイツにおける誕生と衰退」の解説
「実存主義」も参照 新カント派の運動は、かつてカントの哲学からヘーゲルに至る観念論哲学が展開されたのと同じように、次第にヘーゲル哲学にも目を向けるように促していった。このヘーゲル再生の運動は、1870年代になって徐々に始まり(完全に廃れていたわけではない、19世紀後半もヘーゲル研究は行われていた)、1897年に哲学史家クノー・フィッシャーの『ヘーゲルの生涯と著作と教説』を刊行し、ディルタイがこの書評でヘーゲル研究の必要性を説いたことより、直接的な契機となった。つづいてディルタイは1905年に『若きヘーゲル』を刊行、ヘーゲル復興の起爆剤となる。また新カント派のヴィンデルバントは、ハイデルベルク大学の総長就任演説において「ヘーゲル主義の復興」と題した講演を行った。この演説は、ヘーゲル復興の流れが哲学史のひとつの動きとして位置付けられたとものとして捉えての演説であった。 この流れは文献研究にも大きな刺激を与えた。カント全集の刊行が発達したのを受けて、ヘーゲル全集の刊行も再び活性化されたのも、新ヘーゲル主義の運動の賜物である。ヘーゲルの未刊行のものも含んだ、ゲオルク・ラッソンによる哲学叢書版の刊行、ヘルマン・グロックナーによるヘーゲル全集の復刻版の刊行などヘーゲルの著作の刊行などが挙げられる。また、多かれ少なかれドイツ観念論を研究するにあたっての必読書ともいえるニコライ・ハルトマン著『ドイツ観念論の哲学』、リヒャルト・クローナーの『カントからヘーゲルまで』の著作もこの時期に出版されたものであり、この新ヘーゲル主義の一連の運動と密接だったということは言うまでもない。ヘーゲルの没後100周年にあたる1930年には、ヘーゲル国際連盟 (Internationaler Hegel-Bund) が結成され、ドイツ以外のヘーゲル学者との交流もあったが、ナチスが台頭するにつれ、徐々に変質され、消滅していった。ヘーゲル研究が三度活性化されてくるのは、第二次世界大戦後から現在にかけてであるが、これは本項で語られるべきものではない。(→現代のヘーゲル研究)
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