ウィーナー‐ノイシュタット【Wiener Neustadt】
ウィーナー・ノイシュタット
(ヴィーナー・ノイシュタット から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/11 17:36 UTC 版)
ウィーナー・ノイシュタット Wiener Neustadt ![]() |
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![]() 中央広場 |
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位置 | |||
![]() ウィーナー・ノイシュタットの位置 |
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![]() ニーダーエスターライヒ州におけるウィーナー・ノイシュタットの位置 |
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座標 : 北緯47度49分 東経16度15分 / 北緯47.817度 東経16.250度 | |||
行政 | |||
国 | ![]() |
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州 (Bundesland) | ![]() |
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郡 (Bezirk) | - | ||
憲章都市 (Statutarstadt) | ウィーナー・ノイシュタット | ||
地理 | |||
面積 | |||
憲章都市 (Statutarstadt)域 | 60.96 km2 (23.5 mi2) | ||
標高 | 265 m (869 ft) | ||
人口 | |||
人口 | (2009年4月現在) | ||
憲章都市 (Statutarstadt)域 | 4万600人 | ||
人口密度 | 650人/km2(1,685人/mi2) | ||
その他 | |||
等時帯 | CET (UTC+1) | ||
夏時間 | CEST (UTC+2) | ||
市外局番 | 02622 | ||
ナンバープレート | WN | ||
公式ウェブサイト : http://www.wiener-neustadt.gv.at/ |
ウィーナー・ノイシュタット(独: Wiener Neustadt 発音, 洪: Bécsújhely)は、ニーダーエスターライヒ州の都市[1]。ウィーンの南方に位置し、郡(Bezirk; 行政管区)に属さない憲章都市(Statutarstadt)である。またウィーナー・ノイシュタット=ラント郡の郡庁が置かれている。直訳は「ウィーンの新しい町」である。
なお都市名は標準ドイツ語では「ヴィーナー・ノイシュタット」に近い。
歴史
1242年、ワールシュタットの戦いから、モンゴル帝国軍の支隊がこの地の攻略戦に向けられていたが、カラコルムの皇帝オゴデイの急死により危機を免れた。
1909年、市の北部に飛行場が完成、1911年にオーストリア初となるフライトが行なわれた。
第二次世界大戦ではオーストリア最大の爆撃を受けて市の80%が破壊され、アメリカの爆撃で数千人の市民が死亡した。1946年、街の復興のために市当局は市民に自発的に協力するよう呼びかけた結果、数千トンのがれきが片付けられる。
1955年、オーストリア国家条約が結ばれ、オーストリアが連合国の占領から完全に独立したときに、オーストリア最大の被害を受けたこの都市の復興事業も終わっていた。
友好都市
モンハイム・アム・ライン、ノルトライン=ヴェストファーレン州、ドイツ 1971年
デゼンツァーノ・デル・ガルダ、ブレシア県、イタリア 2002年
ハルビン市、黒竜江省、中国 2006年
有名な出身者
- フリードリヒ2世 - バーベンベルク家最後の第5代オーストリア公
- マクシミリアン1世 - 神聖ローマ皇帝
- レオポルト・ヴィルヘルム・フォン・エスターライヒ - 貴族・軍人
- アルブレヒト・フォン・エスターライヒ - スペイン領ネーデルラント君主
- マクシミリアン3世・フォン・エスターライヒ - ドイツ騎士団総長
- ルイーゼ・ピエヒ - 実業家
- ヨハン・バプティスト・シェンク - 作曲家
- フェルディナント・アントン・エルンスト・ポルシェ - 実業家
- フリッツ・マハループ - 経済学者
- ヨーゼフ・マティアス・ハウアー - 作曲家
- カール・メルカツ - 俳優
- ミヒャエル・ハネケ - 映画監督。ミュンヘン出身
- ヴェルナー・シュラガー - 卓球選手
- ドミニク・ティーム - プロテニスプレイヤー 2018年2019年全仏オープン準優勝
脚注
- ^ “ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説”. コトバンク. 2018年5月13日閲覧。
関連項目
外部リンク
- ウィーナー・ノイシュタット市庁 (ドイツ語)
- The city's history (英語)
- The city's history (ドイツ語)
ウィーナー・ノイシュタット | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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雨温図(説明) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ヴィーナー・ノイシュタット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 05:22 UTC 版)
「シュテファン・マイヤーホーファー」の記事における「ヴィーナー・ノイシュタット」の解説
2014年11月19日、オーストリア・ブンデスリーガで残留争いをしていたSCヴィーナー・ノイシュタットに移籍。本人の希望によりシーズン終了までの短期契約であり、同時に2015年1月の時点でイングランドからオファーがあった場合はクラブ側が違約金ゼロでの移籍を認めるという内容であった。 実際2015年1月にミルウォールからシーズン終了までの再加入のオファーを受け、キャリア4回目となるイングランドへの移籍を果たす。ヴィーナー・ノイシュタットでの所属期間は僅か7週間であったが(4試合で1得点1アシスト)、「厳しい状況にあったクラブに加入し、素晴らしいモチベーターとしてクラブ全体にポジティブなエネルギーを与えてくれた。そして彼のおかげで我がクラブはそれまでほぼ経験したことがないような世間からの大きな注目を浴びることとなった」とクラブは発表し、マイアーホーファーが残した多大な功績を称えるために、彼の背番号39を永久欠番にした。
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