カイテル戦闘団
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/05 16:14 UTC 版)
「第37SS義勇騎兵師団」の記事における「カイテル戦闘団」の解説
1945年3月17日、ソビエト赤軍はウィーン攻勢を開始、ドイツ軍はそれまで展開していた春の目覚め作戦を中止、崩壊したドイツ部隊は敗走を重ねていた。そのため、3月26日、戦闘準備が整いつつあった第37SS義勇騎兵師団は戦闘団を編成するよう命令をされ、第93SS義勇騎兵連隊を主幹としてカイテル戦闘団が編成され、ヴィナー・ノイシュタットとマッテルスブルクの間にある名前だけの防衛線「ニーダードナウ要塞地帯」へ派遣され、激しい防衛戦を重ねつつも遅滞戦術を行った。 4月4日、戦闘団はヴィーナー・ノイシュタット南西で戦い、8日、戦闘団は「ミュラー戦闘団」をさらに編成、ミュラー戦闘団はプッフブルクでソビエト赤軍を一度は押し戻したが、反撃を受け撤退した。その後カイテル戦闘団はクロスター渓谷を経由して西方へ撤退戦を行い、激しい損失を追いつつもペルニッツ、ザンクト・エーギトまで脱出、4月29日にはシュヴァルツァウにおいて第117猟兵師団と合流した。 その後、戦闘団はアメリカ軍と降伏交渉を行い、5月12日、ヴィンディッシュガルシュテンに到着したカイテル戦闘団、13日にはエンスに到着したミュラー戦闘団がそれぞれアメリカ軍に降伏した。戦闘団所属将兵約2,000名の内、5月13日の捕虜収容所へ送られる直前の整列に立ち会えた者はわずか180名であった。
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