ベトナム民主共和国の成立とは? わかりやすく解説

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ベトナム民主共和国の成立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 16:04 UTC 版)

ホー・チ・ミン」の記事における「ベトナム民主共和国の成立」の解説

大日本帝国軍敗北決定的になった1945年8月ホー・チ・ミン政権奪取にむけて行動開始した8月13日から8月15日にかけてホーは、トゥエンクアン省ソンズオン県タンチャオ社にてインドシナ共産党全国大会開いて全国的な総蜂起決議する。8月15日大日本帝国ポツダム宣言受諾した旨が短波放送による玉音放送伝えられベトナム事実上無政府状態となると8月16日国民大会開催して臨時政府となるベトナム民族解放委員会選出し国際的に知られた名前である「グエン・アイ・クオック」の名を以て全国総蜂起アピール発した。 こうしてベトミン指導下における全国的な民衆蜂起すなわちベトナム八月革命始まった8月19日フランス領インドシナ中心都市であるハノイ蜂起起き8月23日には阮朝首都であるフエでも蜂起発生してベトミン軍が権力を掌握南部中心都市であるサイゴンでも8月25日民衆蜂起発生ホー率いベトミンベトナム全土掌握していった。8月27日民族解放委員会改組されてベトナム民主共和国臨時政府成立しホー首相外相選出された。 8月30日バオ・ダイ帝が退位し日本傀儡国家となっていた阮朝ベトナム帝国滅亡したかくして大日本帝国政府停戦署名して第二次世界大戦終わった同年9月2日ホー・チ・ミンハノイにおいてベトナム独立宣言発表しベトナム民主共和国建国して国家主席首相に就任した。 ホーベトナム民主共和国国家建設進めていく。国家主席首相に就任 したホー社会主義国家運営原則とした。しかし建国の際に発表され閣僚名簿では、閣僚15名のうち共産党員は6名で残りの9名は非共産党員であった。 また1945年11月には、民族統一優先して共産党前面に出ることを避け諸勢力糾合するためにインドシナ共産党解散ベトミンへの合流宣言した。当然、共産党解散は「偽装工作」であり、ベトミン内に共産党組織温存されたものの、1951年2月共産党再建されベトナム労働党結成されるまでは公然と共産党活動できなかった。 1946年ホー中心となって制定され憲法には、社会主義国家みられる共産党組織による国家指導規定見られず、人権規定私有財産についてはフランスアメリカ憲法参照したと見られる。つまりベトナム民主共和国の『社会主義化』を漸進的に行おうとしたのである

※この「ベトナム民主共和国の成立」の解説は、「ホー・チ・ミン」の解説の一部です。
「ベトナム民主共和国の成立」を含む「ホー・チ・ミン」の記事については、「ホー・チ・ミン」の概要を参照ください。

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