共和国の崩壊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/08 14:06 UTC 版)
アルジェリア戦争#フランスの政治的混乱も参照 1954年1月16日に就任したルネ・コティ大統領の下でフランスは1957年5月25日、EEC(のちのEU)を結成したが、アルジェリア独立問題はこじれにこじれ、弱腰の政府に業を煮やしたアルジェリア駐留軍は1958年5月13日、ド・ゴール将軍の政界復帰を要求してクーデターを起こした(1958年5月13日のクーデター(フランス語版))。 本国政府は決起部隊司令官を懐柔しようとしたが、アルジェリア駐留軍は政権交代を促進させるため本土侵攻を行う「復活作戦(フランス語版)」を開始し、アルジェ駐屯落下傘部隊がコルシカ島を占拠。更にはそれを足掛かりに本国の内通部隊と連携して首都パリへ侵攻する第二段階も用意されており、武力による政権打倒が現実の脅威となってきた。 パリのフランス軍中枢部にも決起部隊に呼応する動きが表面化したため、コティは同年6月1日、隠棲していたド・ゴールを首相に指名した。これにより、「復活作戦」は中止された。 大統領に強力な権限を付与する新憲法制定を主張するド・ゴールは9月28日新憲法を国民投票で承認させ、10月5日に第五共和政が成立、第四共和政は12年足らずで終焉した。
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