共和国の「国王陛下」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 01:43 UTC 版)
「ミハイ1世 (ルーマニア王)」の記事における「共和国の「国王陛下」」の解説
2001年7月、娘のマルガレータ王女とともに共和国政府より特別の地位を与えられ、住居・生計・活動費すべてが国庫で保証されるようになった。NATO加盟やEU加盟のために、ヨーロッパ各国王室との縁戚関係をもつ旧ルーマニア王家のチャンネルを有効活用しようとするルーマニア政府の意図によるものである。またミハイ1世自身もこれらの対外交渉を支援しており、その際に接受国では公賓に準じる待遇を受けた。 ルーマニア共和国政府との関係はおおむね良好で、大統領や首相から公式に「陛下」の敬称で呼ばれるなど、国家からの生活保障も相まってルーマニアは君主制と共和制の折衷のような状況となった。 90歳の誕生日となる2011年10月25日、退位後初めてルーマニア議会での演説を行った。「国家としての誇りの回復」と「民主主義の強化」を呼び掛け、多くの議員からスタンディングオベーションを受けたが、トラヤン・バセスク大統領は記念式典を欠席した。 国民統合の象徴として広く親しまれた。2012年1月の世論調査では、過去のルーマニア政治指導者のなかで最も信頼できる公人として選出された。2013年7月における調査では、対象となったルーマニア人の56%が、ミハイ1世に対して「良い」もしくは「非常に良い」感情を持っていると答えた。 ミハイ1世の所有権が認められた旧ルーマニア王室夏の離宮ペレシュ城 ペレシュ城と目と鼻の先にあるペリショール城(ルーマニア語版) ミハイ1世の所有権が認められた旧ルーマニア王室冬の離宮サブルシン城(英語版) 現在のブカレストにおけるルーマニア王家の公邸エリサベータ宮殿(ルーマニア語版)
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