中世の食事療法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 15:33 UTC 版)
中世の医学は上流階級の健康や栄養の増進に関する考え方に大きな影響を与えた。食習慣・運動・適切な社会行動・裏づけのある医療などの生活様式は健康に至る道であり、あらゆる種類の食品は人の健康に影響を与える何らかの特性をもつとされた。ガレノスが提唱した四体液説は古代後期から17世紀まで西洋医学に支配的な影響力を残し、どの食品も熱・冷と乾・湿の尺度で分類されていた。中世の学者は消化作用を調理と類似の作用であると考えた。腹の中の食物の変化は料理人が先に施した調理の続きであると見られていた。食物を適切に「調理」して栄養素がきちんと吸収されるように、正しい順序で腹を満たすのが重要だった。消化しやすい食品を初めに摂取し、次いで徐々に腹持ちのいい料理に移行した。この養生法を軽んじると消化しにくい食物が腹の底に沈んで消化管を塞ぎ、その結果食物がごくゆっくり消化され身体の腐敗を生じ、胃の中に悪い体液を引き込むと思われていた。また性質が合わない食物を混ぜない(合食禁)こともきわめて重要だった。 食事の前に熱乾性のアペリティフ(apéritif、ラテン語のaperire「開く」に由来)で腹を「開く」のが望ましいとされた。ショウガ・キャラウェイ・アニスの実・フェンネル・クミンなどの香辛料を砂糖やハチミツで被覆した糖菓、ワイン、砂糖などをいれ栄養分を強化した乳飲料などがこれに相当した。一度開いた腹は食事の終わりに消化がよいもので「閉じ」なければならないが、これにはドラジェ(中世のものは香辛料の効いた砂糖の塊だった)、ヒポクラス(香辛料で香り付けしたワイン)それに熟成したチーズを出すのが普通だった。 理想的な食事は消化しやすい果実で始まったらしい。次に出るのはレタス・キャベツ・スベリヒユ・ハーブ類・湿性の果実・ニワトリやヤギの仔などのあっさりした肉・ポタージュ・ブイヨンなどであった。これに豚肉や牛肉などの消化が遅い肉に野菜やセイヨウナシ、それにクリなど消化が遅いと思われる堅果類が続いた。熟成したチーズや消化を助けるもので食事を終わらせるのが医師の奨めもあり好まれた。 もっとも理想的な食事は人間の体液にもっとも適合したものであり、言い換えれば温湿性のものであった。食物は切り刻み・挽き・つぶし・濾して文字通りすべての素材が混ぜ合わされるのが望ましかった。白ワインは赤ワインより冷性であると考えられ、同じ対比が赤白の酢についても適用された。乳は中庸で温湿性であったが、別の動物では乳の性質も違うと考えられた。卵黄は温湿性だが卵白は冷湿性と考えられた。腕のいい料理人には体液医学に基づく養生法の適用が期待された。これにより食物の組み合わせに制限が掛けられたにせよ、芸術的展開の余地はいくらでもあった。
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