みうら‐あんじん【三浦按針】
ウィリアム・アダムス
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ウィリアム・アダムス(William Adams、1564年9月24日[注釈 1] - 1620年5月26日〈元和6年4月24日〉)[2]は、江戸時代初期に徳川家康に外交顧問および通訳として仕えたイギリス人(イングランド人)の航海士、水先案内人、貿易家。日本名は三浦 按針(みうら あんじん)[3]。英国国教会(聖公会)の信徒[1][4]。日本に初めて来たイギリス人で[5][6]、サムライの称号を得た最初の欧州人である[7]。日本で英学を教えるとともに、徳川家康の要請から西洋式帆船(ガレオン船)を建造し、日本の造船史上で特筆すべき業績を上げたといわれる[8][9]。また、日本とオランダ、イギリス両国との国交樹立の懸け橋となった人物として知られる[5][6]。
- 1 ウィリアム・アダムスとは
- 2 ウィリアム・アダムスの概要
三浦按針
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「徳川家康 (山岡荘八)」の記事における「三浦按針」の解説
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三浦按針(ウイリアム・アダムス)
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「浄土寺 (横須賀市)」の記事における「三浦按針(ウイリアム・アダムス)」の解説
56歳で長崎の平戸で病死した後、「将軍の恩に報い、江戸を守護するため、江戸を一望できる高台に葬るべし」という遺言により、浄土寺に近い高台に墓が造られたといわれている。この墓は安針と妻女をとむらうもので、遺言によってこの地に建てたと伝えられている。 「三浦安針墓」は国指定史跡で、「安針塚」とも呼ばれる。 2019年(令和元年)10月25日、浄土寺本堂で400回忌法要が営まれ、徳川宗家18代当主の徳川恒孝も参列した。
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