イギリス商館長とは? わかりやすく解説

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イギリス商館長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/14 03:38 UTC 版)

リチャード・コックス」の記事における「イギリス商館長」の解説

1613年慶長18年)、コックス東インド会社によって日本派遣される江戸幕府大御所徳川家康外交顧問であったイングランド人ウィリアム・アダムス三浦按針)の仲介によって家康謁見して貿易許可得て平戸商館建てて初代商館長就任した1615年元和元年)に平戸において、三浦按針琉球から持ち帰ったサツマイモ九州以北最初に栽培したといわれている。 1615年6月5日日記に、「豊臣秀頼様の遺骸遂に発見せられず、従って、彼は密かに脱走せしなりと信じるもの少なからず皇帝徳川家康)は、日本全国に命を発して大坂焼亡の際に城を脱出せし輩を捜索せしめたり。因って平戸の家は、すべて内偵せられ、各戸宿泊する他郷調査実際報告は、法官呈せられたり。」と書いている。 1616年には征夷大将軍秀忠朱印状更新求めるため江戸参府した。1617年には英国王ジェームズ1世家康宛て親書献上するため伏見秀忠謁見したが、返書得られなかった。この頃からオランダによるイギリス船隊への攻撃激しくなり、その非法訴えるため、1618年 - 1619年には2度めの江戸参府行った1619年にも伏見滞在中の秀忠訪問した1620年元和6年)の平山常陳事件では、その積荷密航宣教師スーニガ及びフローレス国際法上扱いをめぐり幕府貢献した。 しかし、1623年元和9年)のアンボン虐殺事件機にイギリス商館閉鎖決まったため日本出国翌年帰国船中病死した。

※この「イギリス商館長」の解説は、「リチャード・コックス」の解説の一部です。
「イギリス商館長」を含む「リチャード・コックス」の記事については、「リチャード・コックス」の概要を参照ください。

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