イギリス及び英連邦諸国における運用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 07:04 UTC 版)
「F2A (航空機)」の記事における「イギリス及び英連邦諸国における運用」の解説
イギリスは1939年、ドイツとの戦争が不可避と判断し、急ぎ軍備を拡大するためにアメリカから軍用機を導入する計画を発足させ、当時アメリカ海軍の最新鋭艦上戦闘機であったF2Aに注目、まずベルギーが発注したがベルギーの降伏により引き渡し不能となった(後述「#ベルギーによる発注分」参照)ベルギー向けF2AであるB-339Bを引き取り、自国の戦闘機として導入した。イギリスが引き取ったベルギー向けB-339は“バッファロー Mk.I”(Buffalo Mk.I)の制式名を与えられ、海軍航空隊に廻されて地中海のイギリス領クレタ島に配備され、枢軸国軍機と戦闘を行っている。 英国空軍の評価では、F2Aは火力と防護力の不足、高高度飛行性能が低い上にエンジンの過熱やコクピットの視界と居住性の不足、整備性の悪さなどの問題が指摘され、航続性能(航続距離)も過大とされたものの、速度性能は特筆すべきものがあるとされた。 この評価に基づき、イギリスは自国の要求に合わせて仕様変更し、艦上機としての装備を撤去し防弾装甲を追加、照準器を自国製のMk.III反射式構造照準器とするなどしたF2Aを"B-339E"の名称で170機発注したが、完成したイギリス仕様型は、追加装備により重量が増加して性能がオリジナルのF2Aに比べて大きく低下した上、搭載エンジンの供給数が不足していることから中古機のエンジンが再利用された機体が多数生産される有様だった。また、イギリス軍では機首と翼内の.50 AN/M2/.30 AN/M2 7.62mm単装機銃をイギリス規格のブローニング .303 MK.II 7.7mm航空機関銃に変更(翼内機銃は7.7mm2丁に変更)して統一する改装が行われている。 この性能低下とクレタ島での枢軸国軍機との戦闘結果(ドイツ空軍のメッサーシュミットBf109に対抗できないと判断された)こともあり、以後はバッファローは全て極東方面に廻され、シンガポール、イギリス領マラヤ(マレーシア)およびビルマに駐留するイギリス空軍および英連邦軍(オーストラリア/ニュージーランド空軍)の飛行隊に配備された。 マラヤ方面に配備された機体は、開戦直後は日本軍の主力が旧式の九七式戦闘機であったこともあり善戦したが、一式戦闘機「隼」が主力となった後は対抗できず、エンジン故障に悩まされたこともあり、大きな損害を出した。予備部品の供給が追いつかなかったため、前線部隊では稼動機を維持するため、損傷機を始め状態の悪い機から部品を流用する“共食い整備”が横行し、シンガポール陥落後には多数の機体がエンジンを取り外された“首なし”の状態で発見されている。マラヤ方面に配属されたバッファローのうち、60機以上が空戦で撃墜され、40機が地上で撃破、そして事故で20機を喪失した。マラヤ戦線がイギリスの敗北で終了した後にインド他に撤収できたバッファローは約20機であった。 ビルマに配備された機体はフライングタイガースと共にビルマ防空戦を戦ったが、イギリス軍パイロットの報告では「バッファローはすべての面でP-40に劣っている」と評価されている。日本軍のビルマ侵攻時に30機あった稼動機は、1942年3月に部隊がインドに撤退した時点では6機にまで減少していた。 これらマラヤやビルマ、オランダ領東インド(インドネシア)などに配備された英軍の機体は、機体の性能低下に加えて搭乗員の訓練不足や運用体制の構築が不十分であったことに起因する整備・支援体制の不足、更には司令部が日本軍機の性能を実際よりも低く見ていたことによる稚拙な作戦指揮から、マレー作戦の開始後に陸軍の隼や海軍の零戦などと戦闘を行い、そのほとんどが撃墜、あるいは地上撃破されることとなった。機体の性能差に加え、極東戦線ではレーダー探知と連動した航空管制の導入が進められていたが、充分な実働体制を構築する以前に開戦となり、連携の取れた組織的な部隊運用ができなかったことも、日本軍機に一方的な敗北を喫した要因と見られている。現地では翼内機銃や弾薬、翼内タンクの燃料を減らすなどして軽量化し速度と運動性を向上させる努力が払われたが、ほとんど効果はなかったという。 オーストラリア/ニュージーランド空軍では、開戦初頭に英連邦軍としてシンガポールとマラヤに派遣された部隊が使用した他、オランダ東インド部隊降伏後にはマラヤ方面から米軍基地に避退した機体、およびオランダが発注したが引き渡し不能となった機体をアメリカより供与され、主に戦線後方で防空と哨戒、偵察と訓練に用いられた。1943年11月まで現役で用いられたこれらの機体は、アメリカから新型機が供与されると1944年には装備から外され、アメリカ陸軍航空隊に移管する形で返納されている。両空軍ではバッファローに搭乗した中から4人のエース・パイロットが誕生した。
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