アメリカにおける運用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 07:04 UTC 版)
「F2A (航空機)」の記事における「アメリカにおける運用」の解説
F2Aはアメリカ海軍においてまず10機のF2A-1が1939年12月8日に空母サラトガに配属された海軍第3戦闘航空隊(VF-3)に配備されている。しかし、前述のように第1次発注分66機のうち最初の5機を納入するのに半年を要するという状況で、アメリカ海軍の発注したF2A-1のうち、実際に納入されて配備されたのはこの際に引き渡された11機(予備機1機)のみであり、その後の生産機は一部が生産ライン上で改良型のF2A-2に改修された他はフィンランド向けの援助品に廻され、アメリカ海軍向けのF2A-1としては納入されなかった。 太平洋方面においては、1941年12月の開戦時、第221海兵隊航空団(VMF-221)所属のF2A-3、20機がウェーク島防衛強化のためサラトガに搭載されて輸送中で、日本軍のウェーク島攻撃によりサラトガとこれに搭載された航空部隊の任務はウェーク島救援に変更されたが、12月23日には守備隊が降伏したため、ミッドウェー島に行先が変更され、VMF-221は守備航空隊に加えられた。翌1942年3月10日には偵察のためミッドウェー島に飛来した日本軍の飛行艇をF4Fと共に迎撃している。 詳細は「ウェーク島の戦い#アメリカ軍のウェーク島占領前後の動き」および「K作戦」を参照 VMF-221所属のF2A-3は1942年5-6月に行われたミッドウェー海戦にも引き続き守備航空隊として参加し、6月5日早朝、日本海軍機動部隊から発艦した第1次攻撃隊をF4Fと共に攻撃した。奇襲攻撃には成功し、艦爆隊(九九式艦爆隊)に損害を与えたものの、護衛の艦戦隊(零戦隊)との空戦では運動性に劣ることと、機銃が故障する機が相次いだことなどから、大きな損害を出した。約15分の空戦の結果、VMF-221所属のF2Aは13機を喪失、帰還した機体も5機が損傷により飛行不能となり、同隊はF4Fも6機のうち4機(被撃墜2機、帰還後損傷喪失2機)を失ったため、部隊戦闘能力を喪失した。 この日、1942年6月5日早朝の戦闘において、F2Aはウィリアム・ハンバート(William Humberd)大尉機が零戦1機を撃墜し、チャールズ・M・クンツ(Charles M. Kunz)中尉機が2機の九九式艦爆を撃墜した、とされているが(日本側の記録では、艦攻5機、艦爆1機、零戦2機を失い、艦攻16、艦爆4、戦闘機12(修理不能2)が損傷した、となっている。ただしこれには空襲時の対空砲火による損害も含む)、アメリカ側はVMF-221飛行隊長フロイド・パークス(Floyd B Parks)少佐を始め多数のパイロットを失い、日本軍戦闘機により大損害を被ったF2Aには、パイロット達により"flying coffin"(空飛ぶ棺桶)という蔑称を与えられることになった。 開戦前のF2Aはパイロット達には「機銃射撃時の安定性に難があるが、操縦応答性がよく、F4Fよりも優れる」という評価であったがこの戦いにおいて、F2Aは日本軍の戦闘機、零戦に対し、旋回性能など空中戦に必要とされる能力全てで劣っている、というのが生還したパイロットの評価で、前述のクンツ中尉は戦闘報告書において「F2Aは前線戦闘機ではなく練習機としてマイアミ(※注:海軍訓練飛行隊の所在地)で用いられるべきである」と報告している。一方、格闘空戦では全く及ばないながら、急降下や高速スプリットターンによって零戦を振り切った事例が多く、これは後に日本軍機、特に零戦に対する対処法を生み出すための貴重なデータとなった。 アメリカ海軍/海兵隊航空隊に配備された機体はこの戦闘で実戦配備機の大半が失われたこともあり、F2Aはアメリカ軍からは第一線を退くことになり、以後はフロリダ州のペンサコーラおよびマイアミの海軍基地に駐留する海軍訓練飛行隊で練習機として用いられた。 アメリカが初の護衛空母であるロング・アイランドを完成させると、F2Aはその搭載機として候補に挙げられ、実際に搭載してのテストが行われたが、最終的には護衛空母への搭載機としてはF4Fとその社外生産機(ゼネラルモーターズ FM)が選定され、こうした2線機としてもF4Fに取って代わられることになった。 なお、元々オランダが購入して東インド部隊に配備し、オランダの降伏後にはマラヤ方面から米軍基地に避退した機体(B-339)があり、これらは短期間アメリカ陸軍航空隊(USAAF)に配備された後、オーストラリア/ニュージランド空軍に供与されて1943年11月まで用いられ、両軍の機種改変後の1944年にアメリカ陸軍航空隊に移管する形で返却された(後述「#イギリス及び英連邦諸国における運用」および「#オランダによる運用」参照)。 離陸直後に車輪を格納するF2A-2アメリカ海軍第2戦闘航空隊(VF-2)所属の機体(Bu.No.1410号機)(1940年の撮影) 訓練飛行を行うF2A-3の編隊(1942年の撮影) 樹木により偽装の施された駐機場で燃料補給作業を行っているF2A-3オアフ島のエワ・ビーチ(英語版)の海兵隊航空基地(Ewa MCAS)にて(1940年の撮影) アメリカ陸軍航空隊(USAAF)の装備したB-339(1942年の撮影) 就役間もない頃の護衛空母ロング・アイランド(AVG-1) 飛行甲板前端に2機のF2Aが駐機している(1941年7月8日の撮影) 1942年7月、ロング・アイランドで着艦に失敗して損傷したF2A-3
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